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生きるのに慣れてしまった安逸と弛緩は人を堕落させ死に近づけさせる

時々自分の人生を振り返るときがあります。人並みの人生を歩めなかったので結構こういうことは考えたりします。自分の今までの人生については以下の過去記事のような形で書いてきました。

他の人が見たら、正直底辺の人間の人生だと思うでしょう。自分も他の人の普通の人生とは違う人生に分岐してしまっているなぁと感じています。

 

まだ30歳にもならない若輩者がそういったことを考えるのはまだ早いのではないかと思われるかもしれません。でも時々思うのです。


「もし今のような人生ではなくて、もっと普通の人生だったらそれは本当に『幸せだった』と言えただろうか」と。

 

今回はそのことについて書いていってみます。

安逸と弛緩

田坂広志さんの本で、どの本に書かれていたか忘れてしまったのですが、「安逸と弛緩」という言葉を今でも覚えています。

 

安逸とは

  • 気楽に過ごすこと
  • 何もせずに、ぶらぶらと遊び暮らすこと

という意味で、弛緩とは

  • ゆるむこと
  • たるむこと

といった意味になります。

 

田坂広志さんの本は『なぜ、働くのか―生死を見据えた「仕事の思想」』などの著書があり、仕事やその人の人生に対する考え方や姿勢について、著者の考え方が書かれています。

 

田坂さんの仕事や人生に対する真剣な想いが綴られているものが多いです。田坂さんの本には

  • 「死生観」
  • 「歴史観」
  • 「生涯の問い」

といった言葉がよく使われているように、ここまで自分の人生を真剣に生きている人は少ないでしょう。そういったことが書かれている本の中で、人は長い人生において「安逸と弛緩」に陥りやすいと書かれています。

 

自分なりにわかりやすく解釈すると、人はこの世界に生まれてある程度生きると「生きるのに慣れてしまう」のだと思われます。

 

それは、例えば日々緊張感、向上心を持って仕事に励んだり、勉強したりということができなくなっていくということでしょう。また別の視点で言うと、日々意識していないと「怠惰」になってしまうのだと思います。

 

なぜそうなってしまうかというと、おそらく「なんだかんだいっても、努力しなくても生きることができてしまうから」ではないかと思っています。

 

自分もこうはならないように、日々意識して行動するようにしているのですが、平和になってくるとやばいです。最近は「別にそんなに努力しなくても生きていけるのでは?」という考えが頭をかすめていきます。

 

自分の今までの人生はあまり良いものではなかったので、この年まで本当に必死になって生きてきました。それがちょっと試験に合格して、なんとなく次の試験はいけるのでは?今までよりかは生活が楽になるのではないか?と感じてきたらこれです。

 

この安逸と弛緩という感覚は逆に恐く感じます。なぜなら、こういった感覚で残りの人生を過ごせるとは到底思えないですし、脱け出すのが大変だからです。

 

必ずどこかでトラブルとか、予期せぬ出来事とかはあると思っています。そういった時に何の準備もしていなかったらどうなるでしょうか。自分は今までの人生で、準備ができていなかったことによる嫌な思いは、もうこれでもかというぐらい経験してきました。もう泣きたくないのです。

別の視点で見てみると

別の視点で見てみると、本当に不幸だったのかな?とも思うのです。その時は必死でもがいていて、深く考える余裕などありません。当時はとにかく「助かりたい」という一心で勉強してきました。

 

例えば、他の人のように学生時代は平和に過ごせて、就職活動もそこそこ上手くいっていたら、今あるような冊数の本を読むことはまずなかったと思います。

 

そしてまた思うのです。

 

「普通の人生だったら本当に幸せに過ごせたのだろうか」と。

 

今は、経済とか経営とかいろんな分野の本を読んできたので、この国や世界がどういった方向に向かって、その中で個人がどうしていかなければならないか、というのはなんとなくはわかります。

 

しかし、今のような人生ではなく、もう一方の普通の人生だったら、まずわからないだろうなと思います。なぜならそこまで本は読まなかっただろうと思うからです。

 

今は勉強することにそれほど抵抗はありませんが、以前は本を1冊読むのにも苦労しました。例えば簿記の本に出てくるような大量の数値や、法律の本に出てくるような小難しい言葉は、もう見ていることさえ我慢ができませんでした。

 

しかし人間必要に迫られれば変わるものです。例えば、もし「この本を勉強して試験に合格しないと、死ぬかもしれない」という環境だったら、100人いたら100人は試験に合格できるかどうかはわかりませんが、みんな勉強はすると思います。

もしもう一方の人生だったら

 

現在の日本という国では、まだ大企業で正社員になりたいと考えている方が多いと思います。

 

自分も家庭の経済状態や、周りの環境もそれほど悪くなく、そこそこの企業に就職できて、さらにある程度の年数勤められたらどうなっていたかなぁと考える時があります。ひとつ言えることは、今の人生と比べたら間違いなく努力していなかっただろうなと思います。

 

時々考えるのですが、世の中にはどうしても怠惰になってしまう人がいます。そのような人というのはおそらく

  • 「必要に迫られなかったから」

ではないだろうかと思うのです。

 

それは自分にも言えたことだと思います。もし普通の平和な人生を歩めていたら、今の自分はどんな人間になってしまっていただろうかと恐くなる時があります。

 

というのも今だからわかるのですが、10代前半までは

  • 「ただ生きているだけ」

といった感じでした。

 

当時はゲームとかスポーツとかそんなことばかりで、意識して自分を成長させようなんて意識は皆無でした。子どもなんだから当たり前だと思われるかもしれませんが、自分としてはもうちょっと意識して勉強しておくべきだったなぁと思っています。

 

そんな自分が20代、30代となんの大きなトラブルもなく生きることが出来てしまっていたらそれこそ問題だっただろうなぁ、と今は思うのです。

 

今はまだ「正社員」とか「大企業」に勤めることが善とされていますが、じゃあそれが、あと20年、30年続くか、仮に続いたとしても自分がパワハラにあったり、出向させられたりして同じ企業に働けなくなるという可能性も十分にあるわけです。

 

今はまだわかりませんが、ここまで書いたようなことを考えた時に「自分は本当に不幸だったのだろうか」とも思うのです。もしかしたら運が良かったのではないか、と。

更新日 2019年3月9日 8:24 PM