戦後の石炭産業の衰退は、環境への過剰適応が原因という見方について

今回は以下の過去記事の続きとなります。

現在世界では様々なエネルギー源が取引されています。例えば天然ガスとか石油、最近では太陽光発電などもあります。その中に石炭というものも含まれます。

 

戦前は、外国との貿易が制限されていた日本にとって国内で取れる石炭は各産業にとって重要なエネルギー源でした。ですから産業を保護するために豊富な財政資金が投入されたり、石炭振興政策が打ち出されたりします。

 

戦後においては、当時の政府は早期の復興を進めるために傾斜生産方式で石炭産業に様々な補助金や支援策を打ち出します。

 

その甲斐あって石炭産業は戦後の日本で急速は成長しました。ですが、戦前戦後にかけて中東で莫大な量の石油が発見されるようになります。

 

石油は石炭の2倍のエネルギーを生み出すとされており、特に当時の日本の製造業では外国との競争力維持のために徐々にエネルギー源を石油にシフトさせていきます。

 

そういった経緯もあり、政府から強力に保護されていた石炭産業も石油には勝てず現在では国内の石炭産業はほぼ消滅してしまったという状況です。

 

堺屋太一さんの『組織の盛衰―何が企業の命運を決めるのか』に書かれている組織が衰退する3つ目の事例として、この石炭産業が組織面から詳しく書かれています。

 

なるほど、ひとつの産業を組織面からその盛衰を見ていくという発想は今までありませんでした。

 

今回はこの3つ目の事例の石炭産業について思ったことを書いていってみます。

環境に過剰適応してしまった戦後の日本の石炭産業

現在日本における石炭産業はピークの時に比べて、ほとんど消滅してしまったとも言われています。

 

ちなみに、2011年の東日本大震災を契機に原子力発電の比率を下げて、石炭を利用した火力発電の比率が高くなってきましたが、その石炭のほとんどは外国から輸入したものです。

 

学校の歴史の教科書などでは、歴史上における様々な国の盛衰のエピソードが書かれていますが、本書に書かれている事例のように、ひとつの産業自体の繁栄から衰退までの物語を見ていくというのは今までにない視点でした。

 

なるほど、ひとつの産業を対象に組織面からその問題点や課題を見ていくということですね。

石炭産業がその時の環境に過剰適応してしまった理由

わかりやすく言えば「その時の時代が石炭産業を求めていたから」ではないでしょうか。

 

本書では、日本の石炭産業が大成長したのは明治以降、近代産業のエネルギー源として政府が保護育成し、増産を助成するようになってからとあります。

 

この時の時代背景として、石炭産業が保護された理由のひとつが日清戦争、日露戦争において使われた兵器の燃料が大量に必要だったからだろうというのはなんとなく推測できます。

 

その後日本は太平洋戦争に突入していくわけですが、冒頭部分でも書いたように、ABCD包囲網によって貿易の制限によって石油の輸入が難しくなります。

 

そうなると必然的に国産の石炭の重要性が相対的に高まってくるわけで、この時は傾斜生産方式や政府の石炭振興政策によって石炭産業は1940年にその生産量が5730万トンとピークを迎えます。

 

ここまででわかるように日本の石炭産業は需要という面において、戦争が大きく途切れなかった点で恵まれていましたし、「他のエネルギー源」という「競合」がまだこの時点では存在していなかった、又は大きく成長はしていなかったので、この点でも恵まれていたと言えます。

 

外部環境では以上のような恵まれていた部分がありましたし、内部環境においても、その拡大する産業を追い風にして政治力を大きく高めていきました。

 

その典型的な事例が1955年に施行された「重油ボイラー規制法」と言われています。これは石炭の市場を確保するために、工場や都市のビルなどが重油ボイラーの設置の禁止です。

 

つまり石油の流入の規制ですね。これによって当時の日本の国民は高い石炭を買わされました。

 

このような時代的背景から石炭産業は環境への過剰適応を高めていったわけです。

環境へ過剰適応した産業が環境変化に見舞われるとどうなるのか

恐竜

環境へ過剰適応すると、環境が変化した時に大きく衰退してしまうという例は、例えば恐竜の話がよく出されるのではないでしょうか。

 

恐竜が繁栄した時代というのは、恐竜にとっての天敵はほとんど見られず気候も温暖であったと言われています。

 

しかし白亜紀末期の約6500万年前頃に隕石の衝突によって絶滅したとする説があります。この時の衝撃によって生じた塵や灰が空を覆って寒冷化、そのような劇的な環境変化に恐竜は対応できず多くが絶滅してしまったという例です。

 

石炭産業も恐竜の事例のように大きな環境変化を迎えます。1940年以降は中東において莫大な量の油田が発見されるようになりました。

 

石油という石炭と競合するエネルギー源というのは以前からありましたが、この中東での発見によって市場に流通する石油の量が増加、それによって石油の価格が大きく下がることになります。

 

石炭の2倍のエネルギーを生み出すことに加えて、価格的にも勝てないのであれば石炭産業が苦しくなっていくのは自明です。

 

そして、これまでに環境へ過剰適応してしまったツケが回ってくるというわけです。そのことについては本書において次のように書かれています。

p.72

要するに、石炭産業は、採掘技術や運送方法など中味の改善には努力したが、業種業態を変える仕組の変更には手を付けなかった。

 

石炭産業が、経営者も労働組合も、所管官庁も地元の自治体も、石炭産業が繁栄したモノ不足外貨不足の「国産資源重用時代」に過剰適合していたため、石炭以外の分野には知識も関心もなく、他分野への投資や多角化の方法も思い付かなかったのである。

 

当時の石炭会社の経営陣は、政治、労務、技術の専門家から成っていた。ヒト余りモノ不足の環境にふさわしく労務重視販売軽視の体制だったのだ。

 

そして技術は石炭採掘の鉱山技術と石炭化学に限られていた。

本書ではある環境で発展した生物は、環境変化に曝されると、その生物にとっての強みの体質を一段と強化することで危機に対処しようとする、と書かれています。

 

特に恐竜は、環境変化に直面した時に、本来であれば寒冷化で食料となる動物や草木が減少しているわけですから、体を小さくした方が効率的なはずです。しかしそうはならずより大きくなることで環境に対処しようとしたとあります。

 

それと同様に、石炭産業もより一層体質を強化することで環境に対応しようとしてしまったわけです。

 

その一層の体質強化とは本書では地域密着性と政治依存をより高めてしまった結果、労働力多用体質から抜け出せず、慢性的な赤字構造になっていったとあります。

なぜ石炭産業から石油産業へ移行できなかったのか

本書ではこの理由として、「石炭以外の分野には知識も関心もなく、他分野への投資や多角化も思い付かなかった」とありますが、自分の考えは少し違います。

 

というのも石炭産業も石油産業も同じエネルギー産業なわけですから、競合する産業に対してはそれなりに気がかりというか、最低限の知識なり関心なりはあったと思います。

 

ではなぜ多角化、石油産業への移行などができなかったのか。

 

それは石炭産業が石油産業への多角化、もしくは移行をすることで、元々存在している自らの石炭産業の衰退を招く、もしくは衰退のスピードを早めてしまう。そのような事態を避けたかったからではないでしょうか。

 

なぜなら石炭産業にとって石油産業は「競合」なわけですから。これが全く別の、自分の産業と競合しない産業であれば話は変わっていたのではないかと思います。

 

また、「技術面」でも障害があったと思います。

 

これはどういうことかというと、石炭は鉱物という「固体」であり、石油は「液体」の燃料になります。

 

この時点でまず採掘方法が異なってくるというのはなんとなくわかります。これによって採掘技術も違ってくるでしょう。

 

またその形状の違いから流通方法とか保存方法も異なってくるはずです。

 

そもそも石油が日本では多くは取れない、もしくは採掘する場合の採算が海外の石油の輸入と比較して合わない問題もありますし、

 

石炭産業から石油産業へ移行する場合、海外から石油を輸入するとして炭鉱で働いていた労働者をどうするのか、という政治的な問題も出てきます。

 

ここで地域密着性の高さが障害となります。

 

他にも自らの政治力によって「重油ボイラー規制法」なるもので、石油の実質的な規制をしてしまったので、石炭産業から石油産業へ移行することは積極的に損をしていくという形になるわけで、この点でも他産業への移行について自ら障害をつくってしまったわけです。

 

重油ボイラー規制法による政治的な力が強くなったことや、旧帝国陸海軍の事例で書いたように、機能体組織の共同体化も進んでいたと思われます。

 

旧帝国陸海軍は日露戦争勝利から大艦巨砲主義に執着してしまい、航空機重視の生産体制に移行できず、その体質を一層強化してより大きくてより強力な戦艦をつくることが正しいとする方向に進んでしまいました。

 

旧帝国陸海軍が過去の成功事例から脱却できず航空機を重視できなかったように、石炭産業もその体質を一層強化し、石油産業に対応できる技術の研究や組織構造の変更ではなく、石炭産業に対する技術の向上や政治運動にその資金を使ってしまいました。

 

いや、その組織の存続のためには「使わざるを得なかった」とも言えるかもしれません。

 

つまり環境に過剰適応してしまったら、どちらにしろ衰退する運命にあったのではないかと思うのです。

まとめ

ではどうすればいいのでしょうか。自分の今の時点での考えは、時代の流れをよく観察し、その分野に過剰適応する前に一歩引いておく。

 

それと同時に次の流れに乗れるような準備を予めしておく、というのがひとつの解決策になり得るのではないかと思います。

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