X

20代で5社目の会社に2週間働いて気づいたこと(まとめ)

今回は前回の以下の過去記事からの続きとなります。

「20代で5社目の会社に2週間働いて気づいたこと」という記事名ですが、今までの経験からいろいろ気づいたことがあります。それを以下に順番に書いていきます。

 

ちなみにこの記事で伝えたいキーワードは「やりたいこと」「おもしろそうなこと」「先端的な分野」です。

今までの意識や行動の変化

自分の今までの意識や行動の変化は以下のような変遷を辿りました。

「安全」

「能力」

「やりたいこと」「おもしろそうなこと」「先端的な分野」

 

社会人になって始めの頃は、「良い企業に入れれば大丈夫だろう」という邪な考えを持っていました。今にして思うと非常に恥ずかしく感じます。

「能力」を重視した意識や行動をとった結果━税理士や公認会計士との競争

次に「能力」を重視した意識や行動をとるようにしてきましたが、こういった意識でいると「今までの蓄積」という基準で比較されることになるのではないかと感じます。

 

例えば「税理士」とか「公認会計士」など、国内において古くから歴史がある資格です。

 

親の職業という時点で既に税理士とか会計士の人もおり、さらにその子供が小さいときから、そういった優秀な親からその分野について教えてもらえるわけです。そのような人たちと戦っていては勝ち残っていくのは難しいと思います。

 

ですから、そういった人たちと競合しない分野、やりたいこと、おもしろいこと、歴史が浅い先端的な分野を選ぶ、という風に意識や行動を変えていくようにしていきました。

 

そのような意識や行動の変化が今の良い職場環境に繋がっていると感じています。

自分の今までの考えに対する間違い

自分は経理として長く働いてきたので、無意識のうちに企業というものを財務的な視点で見ていました。しかしその視点が実際に働く人の視点で役に立つのかというと今は疑問に感じています。

自己資本比率70%でも良い会社といくわけではない

例えば「自己資本比率70%」というと財務的な面から見ると安定しており良い会社のように見えます。他にも、その会社の歴史が50年、100年とか、社員の平均年齢が40歳を超えている、といった情報が加わるとどうでしょうか。

 

自分は4社目までだったら、「安定してそうで良い会社」という認識だったと思います。しかし、5社目までの意識や考えの変化と経験から、実際にこういった会社で働きたいと思うかと聞かれたら、今ならいろいろと考え直します。

「安全」を求める考えがどのような結果をもたらすか

というのも、「歴史があって、大きくて、財務的に安定している」会社を選ぶということは、自分の今までの経験上、その人の意識の根底には「安全」を求める考えがあり、同じようにその会社の人たちの意識も同じような思考回路になっている可能性があるからです。

 

平均年齢40歳以上という会社だったら、昔の価値観というか、なかなか言いづらいことですが、変っていくのは難しいでしょう。どんなに頑張っても上の人たちのために損するばかりだと思います。

優秀な人から辞めていく理由━新しいことができない

よく「優秀な人から辞めていく」という言葉をネット上で見たりしますが、その理由って会社の業績が悪化したからではなく、

 

「その会社では何かリスクを取って新しいことを始めようとすることが望めない」から、人として良い人が少なくなってきた、会社が官僚的になってきて、上の人の意見を聞くしかない、といった理由から辞めていくのではないかなぁと思うようになりました。

 

結果的に「会社の業績が悪化してもう助かる見込みがないから辞める」かのように自分は見えていたのですが、たぶん会社の業績とか、そういった理由ではない気がします。

 

前回の過去記事では、「初めて会社に行きたいと思うようになった」といったことを書きました。その理由は会社が先端的な分野に取り組んでおり、周りの人間も今までで一番良かったからです。そういった職場では、多少損をしてでも自然に続けたいと感じます。

そこで働く人間が良い人でなければ続かない

例えば会社の業績が良くても、財務的に安定していても、給料が良くても、施設や設備、制度が優れていたとしても、そこで働く人間が良い人ではなかったら、人の足を引っ張る人たちばかりでは続けたくても続けられません。

 

そういったことに対してどういった意識を持ってどういった行動をすればいいかというと、リスクを取ってでも「やりたいこと」「おもしろそうなこと」「先端的な分野」を意識して行動していけばいいのではないかと思います。

安全を得ようとすればリスクを取らされ、リスクを取ろうとすれば安全を得られる

今の時代にリスクを取るというのは、なにやら危ないことかもしれませが、自分が感じたのは

 

「安全を得ようとすればリスクを取らされ、リスクを取ろうとすれば安全を得られる」のではないかという非常に逆説的な結果に繋がる気がします。

 

こういう時代だからこそ、自分のように皆「安全」を求めてしまいます。しかしそういった意識では、そういった人たちが集まるような場所で一緒にいなければならなくなります。

 

しかし、リスクを取ってでも、自分が損をしてでもやりたいことをしようとするのであれば、そういった人たちが集まるような場所に行くことができて、そういった良い意識を持った人たちと一緒に働けるのではないか、と考えるようになりました。

更新日 2019年3月8日 8:35 PM