企業の成長には権限委譲か?それとも権限集中か?

いろんな企業の本を読んだり、実際の事例を見てみると、「現場にこのように権限を委譲したから上手くいった」とか、

 

「あまりに権限を分散させすぎてコントロールが利かなくなってしまったので、本社に権限を集中させるようにした」といった言葉をよく目にしていました。

 

こういった時に、自分は「いったいどっちが正しいのだろうか?」とよく悩んでいました。

 

ですが、多くの本や事例を見比べてみるとその違いというのは、企業の成長における「時期」とか「規模」によって違ってくるのではないかと考えるようになっていきました。

 

今回は、その違いについて書いていきます。

権限集中が必要な条件━IBMの事例

IBM製のサーバー

p.322

競争が熾烈で変化が速いいまの世界では、完全な権限委譲の戦略を追及できる大企業はほとんどないとわたしは考えている。組織に大きな変化が必要になったとき、この戦略では経費がかかりすぎ、動きが遅すぎるのだ。

 

したがって、各社の経営者にとって、何が特殊で(権限委譲の対象になり)、何が会社全体の共通のものなのかを判断することが課題になる。

(中略)

問題は、権限集中か権限委譲かではない。偉大な組織は、各部門が共有する活動と分散型の活動との間でうまくバランスをとっている。

『巨象も踊る』から引用

『巨象も踊る』という本は1990年はじめから2000年のはじめごろまでのIBMの再生について書かれている本です。

 

当時IBMは深刻な業績不振に陥っていました。原因はひとつではないのですが、その中のひとつは「極端な権限分散」が原因だったと書かれています。

四千に及ぶソフトウェア製品や三十か所以上の研究所という非効率

例えば当時のIBMには以下のようなことがあったと書かれています。

p.191

IBMには四千に及ぶソフトウェア製品があり、すべて異なる名前がついていた(そのほとんどは記憶に残らず、思い出すこともできなかった。)これらは世界各地の三十か所以上の研究所で作られていた。

 

これらを管理する仕組みはなく、ソフトウェア事業経営のモデルもなく、ソフトウェアを単独の製品として販売するスキルもなかった。

他にも権限分散の弊害についての事例は多く書かれており、このこと以外にも多く書かれていました。

 

同じグループ内にも関わらず、統一されていない膨大な数の会計基準が使われていたとか、とにかく「非効率」になっていました。

 

それらを「統合」していこうというのが当時のIBMの戦略だったようです。

各部門が共有する3つの水準

いきすぎていた権限分散を改めて、権限を集中して共有化、効率化するために、当時のIBMのCEOのルイス・ガースナーは3つの水準があると述べています。

第一の水準━事務処理部門の共有化

この水準ではデータ処理、データ・音声通信網、購買、基本的な人事制度、不動産管理などの事務処理部門の共有化です。

 

この水準では個々の部署内、もしくは部署間の統合というイメージになるでしょうか。また、規模の経済を生かすことができるともあります。

 

それほど大規模ではなく、これらの実行は比較的容易であり、この水準の実行によってある程度のコスト削減や利益も見込めるとあります。

 

ですが、この水準の共有化の実現によって大きな利益を見込めると本書には書かれています。

第二の水準━顧客とじかに接する現場レベルの共有化

この水準では、顧客データベース、受注処理システム、顧客関係管理システムなど顧客とじかに接する現場レベルの共有化です。

 

この水準での共有化は困難です。というのも共有化は部門間で利害が衝突するというのと、その利害を超えて活動できるようにするには部門長などから権限を取り上げないと機能しないとあります。

第三の水準━企業間の合併

この水準では、企業間の合併のようなレベルになります。この部分の詳細は本書を読んでいただければと思います。

 

もしくは以下の過去記事を参照していただければと思います。

権限委譲について

「権限委譲」という言葉は権限集中より目にすることが多いと感じます。

 

例えば、上の人間が現場に権限を委譲してくれないので、本当はもっと上手くやる方法があるのに、それができないといった場合があるかと思います。

ニューコアの事例

最近読み始めた『真実が人を動かす―ニューコアのシンプル・マネジメント』には以下のようなことが書かれています。

p.103

クロフォーズビルの冷延担当部長、ケビン・ヤングはこう言っている。

 

「私のほうから、おい、これをやってみよう、なんて言うことはまずありませんね。実際、この工場で実施した改善は、どれもこれも現場の作業員か監督から出てきたものなんです。私はその改善案が実施されるようにするだけです。」

ニューコアとはアメリカの鉄鋼メーカーです。80年代前半の不況をレイオフなし、工場閉鎖なしで乗り切りました。

電炉と薄スラブ連続鋳造技術でアメリカの鉄鋼業界で2位

鉄鋼の工場内の様子

その原動力となったのが、当時の最新の技術であった電炉と薄スラブ連続鋳造技術と言われています。現在はアメリカの鉄鋼業界において2位の売上高という存在になっています。

 

以下の過去記事では、この2ヶ月でいろいろな企業の成長物語についての本を読んだと書きました。

その中で多かったのが、上記のニューコアの事例も含めて現場の人間の創意工夫によって現場や店舗を良くしていってもらう権限委譲でした。

権限委譲の効果━本人たちの創意工夫と結果で評価

この効果はやはり、現場の人間を企業の歯車として道具のように文句を言わせず働かせるのではなく、本人たちの創意工夫と結果で評価されるという点が企業全体としての成長に繋がっているということでした。

権限委譲と権限集中の使いどころ

IBMの事例について書かれた『巨象も踊る』を読んでみて良かった事は、権限集中とか中央集権化が必要な時がなんとなくイメージできたことです。

 

今までは非常に曖昧でした。ただ二つの言葉がある、ぐらいにしか認識できていなくて、「こういった問題があった時、こういった事例があった時なんだな」と知ることができたのは良かったです。

 

権限委譲と権限集中、なぜこのような2つの言葉が生まれたかというと、やはりこの2つのことは現実として必要なことだったからでしょう。

「条件による」

ではどういった時に使い分ければいいのか、というと「条件による」というのが一番の答えなのではないかなと思います。

 

創業から成長が続いていき、ある程度のところまでは権限委譲というのは機能するのではないかと思っています。

 

ですが企業の規模がかなり大きくなってくると、逆にそれが非効率な状態を招きデメリットとなってしまう。

 

そういった時に権限を集中させて、企業内の非効率な部分を共有化していく。

 

というのが上手いやり方なのではないかなぁと、とりあえず今の時点ではそのような認識を持つようになりました。

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