今後、というか以前からですが、企業内でもディスインターミディエーションが発生していくと思われます。前回の記事では以下のようなことを書きました。
技術の進歩によって原因と結果が近接していくようになりました。
例えば消費者から製造業までの間で、特に付加価値を生み出すことが出来ず、中抜きしてマージンを取っていた卸売業などの企業は減少していっている、といった内容です。
前回の記事ではマクロな範囲でしたが、これからは企業内というミクロな範囲でも、よりそのような傾向が強くなっていくのではないか、ということです。
ここ数十年の卸売業の売上高の減少について
前回の記事ではITなどの技術革新によって、ビジネスモデルなども含めて、中間的なものがなくなっていくだろうと書きました。そのことついてもう少し詳しい内容を『CRM―顧客はそこにいる (Best solution)』から引用してみます。
p.63
これらIT革新の事業のインパクトは何か。①価値のない中間チャネルが消滅する(ディス・インターミディエーション)と同時に、②新たな価値創造が可能になる(リ・インターミディエーション)ことであろう。
W/R比率(国内の全卸業者の売上合計(W)を、同じく全小売業者の売上合計(R)で割った数字であり「卸が何段はさまっているか」の指標)を見ると、1982年には4.2であったものが、一貫して低下を続け、2000年度では3.2(2001年2月調査)になっている。
20年も経たないうちに150兆円分、卸の売上が消えたのだ。
中小企業診断士の勉強から『中小企業白書』を読む機会があったのですが、最近の傾向でも卸売業全体の売上高は大きく減少していっています。今後もこの傾向は続いていくでしょう。
企業内での管理職に対するディスインターミディエーションという動き
ひとつ上の見出しの中から「ディスインターミディエーション」という言葉が出てきました。この言葉の意味は以下のサイトにわかりやすく書かれています。
直訳すると「仲介が出来ないこと」から、間接金融の中心的役割を担う銀行を通じた資金の流れが縮小する現象をいう。
(中略)
今は銀行自体が生きるか死ぬかの緊急事態であるから他人を助ける金など無いのも判るが、資金の仲介者としての本分を忘れて自己防衛にのみ徹すると、やがて社会の公器としての使命と支持を失うことになるのではないだろうか。
要は前回の記事でも書いたように、「中間業者が少なくなっていく」ということであり、企業内でも管理職を少なくせざるをえなくなっていくと思っています。
今の時代はどの企業も商品ごとに大きな差はなくなってきています。そのためどこで差をつけるかというと価格に向かいやすくなります。
そこで今までは、工場を海外に移転して安い人件費や土地代で操業することで安くできるようになりました。また、卸売業を介さないことでマージンを取られない分、さらに価格を安くできるようになります。
しかしそこでも差がつかなくなってくると、企業内で削りやすい所、人件費の削減という選択肢を考え始めます。
企業の業績が厳しく、どうしても人件費を削減しなければならなくなってくると、本来であれば中高年の高い人件費を削減すれば効果が大きいような気がします。
ですが、今の日本社会は年功序列、世代人口や選挙への投票率も高い中高年の人件費の削減は大きくは行われませんでした。
その分を若者の正社員に対する雇用や給料を抑制することで対応してきましたが、それでもなお対応できなくなってきた企業は昨今のシャープやソニー、その他の企業に見られるように中高年の人たちをリストラの対象とせざるを得なくなっています。
今後はおそらく、技術や若者への投資を怠ってきた所は価格でしか勝負できなくなっていくかもしれません。さらにそれが技術や人への投資を難しくしていき、さらにそれが価格での勝負をせざるをえなくなっていく・・・という負のスパイラルにはまっていくのではないかと考えています。
こうなってくると、今まで卸を介さないことでマージンを取られないようにしたのと同様に、中高年の世代の管理職の人たちを介さないような組織形態になっていくかもしれません。いや、むしろ「会社」というもの自体がなくなっていくかも、と考えたりもします。
20年近く前から言われていたこと
実はこのような考え方は、以下の田坂さんの記事において20年近く前から言われています。
今夜は、企業内のパソコンネトワーク、イントラネットによって様変わりするビジネスマンの社会である。社員全員をパソコンでつなぐイントラネット、ビジネスの効率が上がり、コストが削減できるとして、イントラネットを導入する企業が急速に増えている。
イントラネットの導入で、中間管理職はいらないとして、課長職を廃止する企業も現われ、求められる中間管理職のあり方が変わってきた。イントラネットは、企業に何をもたらすのか探っていく。
1997年1月28日(火)の記事で約20年も前の記事であり、当時は上記のような内容はあまり受け入れらなかったのではないでしょうか。
むしろ「そんなのおおげさすぎる。馬鹿にしないでほしい」といった意見もあったかもしれません。
しかしそれから20年近く経つことで、インターネットの活用はビジネスモデルでもその有効性が確認され、競争も激しくなってきました。さらに最近の技術の動向を見ると、人工知能やロボットの実現も視野に入ってきています。
当時インターネットを馬鹿にした人たちがたくさんいたように、今も「人工知能やロボットもまだまだじゃないの?」と考えている人も多いでしょう。ですが、当時同じように考えていた人たちが「今」という社会にその現象として現れています。
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