ポスト資本主義社会の先の知識社会への移行は知識生産性革命が必要ではないか

階級闘争と、共産主義を打ち破ったもの

個人的に「おもしろいな」と思ったのが、「生産性革命」によってもたらされる世界についてです。

 

テイラーの科学的管理手法は第二次世界大戦前から日本に導入されていたようですが、なかなか浸透していなかったようです。しかし、戦後のGHQによってこの分野の推進が強化されて、経済的に飛躍的な成長を遂げました。

 

対して、かつて存在していたソ連(ソビエト社会主義共和国連邦:1922年から1991年までの間に存在したユーラシア大陸におけるマルクス・レーニン主義国家)は1991年に崩壊しています。

 

日本とソ連、一見すると何の関係も無い、国と国の歴史の比較のように見えますが、そうではなく、これは個人的な視点ですが、このふたつの国を「生産性革命」を通して比較できるなと思いました。

 

かつてマルクスは、資本主義の発展により矛盾が増大すると、つまり資本家と労働者の格差が拡大し続けると、社会革命(社会主義革命、共産主義革命)が発生するとしていました。

 

その結果プロレタリア(労働者)独裁の段階を経由して、市場・貨幣・賃金労働などが廃絶された新しい無階級社会、つまり全てが平等な社会といった感じでしょうか。

 

そのような共産主義社会が生まれ、国や戦争などもなくなり理想的な社会が生まれると言われていました。

 

しかし、実際にマルクス主義が生み出したものは全くの正反対のものでした。そのことについて本書では以下のように書かれています。

p.39

経済システムとしての共産主義は崩壊した。共産主義は富を創造する代わりに、貧困を創造した。経済的な平等をもたらす代わりに、前例のない経済的特権を享受する官僚群からなるノーメンクラツーラをもたらした。

 

しかし信仰としてのマルクス主義は、「新しい人間」をつくり出せなかったがゆえに崩壊した。

 

代わりにマルクス主義は、「古いアダム」のもつ最悪の部分のすべてを強化し、顕在化させた。マルクス主義がもたらしたものは、腐敗、貪欲、権力欲であり、嫉妬、不信、圧制、秘密主義であり、欺瞞、窃盗、威嚇であり、何よりも犬儒主義だった。

「知識」というものをどう活かしていくのか。

恐怖政治で国民を無知のままにしておくのか。

それとも仕事に知識を適用したり、知識に知識を適用したりして生産性を上げるように国民を啓発していくのか。

 

知識の利用によって分岐した2つの世界、という見方ができるかもしれません。

 

かつて崩壊したソ連や、現在の中国を見てもらえればわかります。「共産主義」の言葉としての意味は理想的な社会を指しますが、現実問題として、引用した文章のように腐敗や貧困が拡大し、多くの問題を抱えています。

次の分岐点で理想的な社会へ移行するためには

以上のようなことから、日本が次の理想的な知識社会へ移行するためには「知識生産性革命」が必要じゃないのかなぁという考えに至る理由です。

 

では、それがどういったものか、それを実現するためにはどうすればいいのか、といったことについてはいまだはっきりとは自分の中で体系化はできていません。

 

ですが、単に格差が拡大し続けるのはやはり良くない結果につながるのではないかと思うのです。マルクスの予測とはかけ離れた世界のように。

 

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