ステップ地帯の牧夫とゼブ(牛)の事例から考える日本の悲惨な未来予想と個人について

人間とはどうしても長期的視点ではなく、今現在の目に見えているものや短期的視点だけで物事を判断してしまいがちです。

 

例えば企業において売上を上げるために、1時間あたりに処理できる量を増やすという発想ではなく、働く時間を増やすことで処理する量を増やそうとしてします。

 

ですが、1日は24時間しかないのでそのような体力勝負ではいずれ上限につきあたります。

 

このように人々が俯瞰的、長期的視点ではなく、局所的、短期的視点で物事を見るようになるとどうなるか、という点で考えさせられたことがありました。

 

それが『最強組織の法則―新時代のチームワークとは何か』の中に書かれていた「共同食卓の悲劇」と言われるものです。今回はこのことについて書いていってみます。

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『最強組織の法則―新時代のチームワークとは何か』について

『最強組織の法則―新時代のチームワークとは何か』とはピーター・M. センゲが書いた本です。本書は組織というものに対して「学習する組織」の重要さについて触れています。

 

この本を読むようになったきっかけは、中小企業診断士の二次試験の「組織・人事」の事例を少しでも理解するために購入しました。

 

本書では

p.10

また、ロイヤル・ダッチ・シェルの企画部長アリー・デ・ジウスは「競争相手より早く学べる能力、それが競争力を維持する唯一の鍵である」と語っている。

(中略)

これから本当の意味で抜きんでる組織は、あらゆるレベルのスタッフの意欲と学習能力を生かすすべを見いだした組織となるだろう。

 

とあり、そういった学習組織を育てるための必要な知識や技術について触れられています。

 

今回の記事では、組織や組織学習というものについてもそうなのですが、本書のとある事例から現在の日本の経済状態について考えたことを書いていってみるというものです。

 

「共同食卓の悲劇」とは━ステップ地帯における牧夫とゼブ(牛)の事例

本書では「共同食卓の悲劇」とは、部分的には正しい決定が大局的には間違っている、という意味で書かれています。それをわかりやすく表した事例として次のように書かれています。

p.296

サハラ砂漠以南のステップ地帯はかつて肥沃な牧草地だった。20世紀半ばには、10万人あまりの牧夫と50万頭以上の「ゼブ」と呼ばれる牛を養うことができた。いまは不毛の砂漠で、わずかばかりの草木が生えているだけだ。

 

この地に残された人々は、干ばつと飢えの危険にさらされながら、どうにか暮らしている。

 

悲劇の原因は1920年代から70年代にかけて人口と牛(ゼブ)の数が着実に増えたことにあった。国際援助機関の資金援助で深い井戸が数多く掘られたことと、それまでになく雨が多かったことから、1955年から65年まで人も牛も飛躍的に増加した。

 

経済的利益と社会的地位を得るために、ステップ地帯の牧夫はみなゼブを増やしたいと思っていた。牧草地が充分にあって、ゼブが増えても養える間は何も問題はなかった。

 

だが60年代はじめ、ゼブが増えすぎて牧草地の草が減りはじめる。草が少なくなればなるほどゼブはますます食い荒らし、生えるそばから草は食べられるという状況になった。植物が減ると、風と雨が土壌を侵蝕して砂漠がひろがる。

 

草はますます減る一方で、ゼブはいっそう食い荒らし、さらに砂漠化が進んだ。この悪循環を断ち切ったのは、60年代と70年代に何回にもわたって襲った干ばつだった。70年代はじめまでには50~80%のゼブが死に、サハラ砂漠の多くの人々が困窮に陥った。

 

上記の事例を現在の日本にあてはめたらどうでしょうか。牧夫を企業の経営者や役員、管理職など、ゼブをそれ以外の中高年、牧草地を若年層と置き換えてみたとしたら。

 

今の日本の状況と何か違う所があるでしょうか?今の中高年の世代は経済的利益や地位を得るために若年層の労働力を食い荒らしていると言えなくはないでしょうか。

 

上記の例が、今後日本が歩む可能性のある未来のひとつでもあります。日本という国が今後、「不毛の砂漠で、わずかばかりの草木が生えているだけ」のような状態になってしまうかもしれないのです。

個人の役割は、「その構造から抜け出す」こと

p.317

個人の役割

最初にすべきなのは、構造から抜け出すことだ。

本書では「ステップ地帯における牧夫とゼブ(牛)の事例」を例に、組織においてある構造が回転し始めると、それはどんどん加速していき、いきつくところまでいきつかないとその回転は止まらないと書かれています。

 

そしてその回転による結果を回避するためには、その構造の内部にいるのではなく、そもそもそういった構造から「抜け出すこと」だとしています。

 

例えば日本の企業において、次の点はなぜか評価のひとつとされています。

  • 結婚や家を持つこと

しかし、そのような「企業や上司からの評価」という短期的視点を追い続けた結果、

  • 住宅ローン
  • 自動車ローン
  • 保険代
  • 利害関係が絡む人間関係
  • 子どもの学費

その他様々なものを抱え込むことになるわけです。

 

しかしそれがいきつくところまでいきついた結果が、なかなか身動きが取れないという今の状況に繋がってしまっています。

 

そう、企業にいるとどうしても「そこで評価される基準」を追ってしまいがちです。しかし、その基準に忠実に従った結果までは企業は何も保証してくれないのです。

 

そういった結果を回避するには「そのような価値観の世界から抜け出すこと」であり、外部からその構造を把握することです。

 

普通に考えれば、なんとなくは企業内の価値観がおかしいということがわかるはずなのです。例えば、

  • 「仕事ができるかどうかより、酒がどれだけ飲めるか」で評価されるという基準
  • 「仕事ができるかどうかより、いかに上司の機嫌がとれるか」という基準
  • 「出世するためには、他人を騙したり蹴落とすのも辞さない」という基準

しかし企業組織という「内部」にいる場合、自分に確固たる価値基準がないと上記のような頭を傾げるような基準ですらもわからなくなってしまうのでしょう。

 

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