『「逃げる」ことから逃げない』という発想について

多くの人は「逃げる」という言葉に対して否定的でネガティブな捉え方をされるかと思います。

 

例えば学校の部活でも会社の仕事でも「逃げるな」とか「ここでできないのに他の場所で通用するわけがない」と言われたりした経験は誰でも一度や二度はあるのではないでしょうか。

 

自分も学生時代はとあるスポーツで部活動をしていましたが、「辞める」ということに対して非常に暗いイメージを持っていました。もっと言ってしまえば「ここで辞めたら駄目な人間になってしまう」みたいな感覚がありました。

 

現実問題として、じゃあ今日学校の部活動を辞めたり、会社に退職届を提出したからといって、その1秒後に死んでしまうわけではないし、一生働けない烙印を押されるわけでもないし、何かのブラックリストに載って一生働けなくなるわけでもありません。

 

よくよく考えてみれば何かから一度逃げたからといって、全てが駄目になるわけではないのですが、以前の自分は無知だったので世間の常識が全て正しいと思ってしまっていたわけです。

 

今回はこのことについて書いていってみます。

「逃げる」ことから逃げない、という発想

以前から「逃げることはいけないことだ」という考えはありました。一方で、逃げることに対して恐怖感も持っていました。

 

世間の常識では「逃げる」ということは良くないことだとされていますが、冒頭部分でも書いたのですが、「逃げる」ことに対して恐怖心もありました。「逃げたら駄目な人間になって、元に戻れなくなるのではないか」と。

 

ですが、逃げることが良くないことなら、恐怖心を持ってしまうということは、逃げることに対しても「逃げていることになるのでは?」といった漠然とした感覚も少し前から持つようになりました。

 

つまり、「逃げることから逃げているのではないか」ということです。

 

具体的に明確にそういった感覚を持っていたわけではなく、考え事をしているといろいろと頭に浮かんでくるものがある訳で、以前からなんとなくそのような考えも持つようになっていました。

 

そのような自分の中での漠然としたイメージが具体的な形になったのが千田琢哉さんの『やめた人から成功する。』という本です。

 

千田さんが書かれている本は全般的に平易な文章で書かれた、著者の人生訓的なものが多いです。千田さんの本は特にページ数も多くなく値段も手頃であること、何よりそのタイトルに引かれて購入しました。

 

その本書の中でも一番最初の部分にある次の文章を読んでドキッとしました。

第1章 「人生」の我慢をやめる

p.17

1 「逃げる」ことから逃げない

「ここまでやっておいてお前は逃げるのか」

「最後まで諦めないことが大切なのよ」

と我慢を強要されて育ってきた人は多い。

(前略)

我慢を強要してくる人は、自分が我慢人生を生きてきた人だ。自分が受けた苦痛に、あたなを通して復讐しているのだ。しかし、本来「俺が我慢したんだからお前も我慢しろ」という理屈は通らない

(後略)

やめるという選択肢から逃げてはいけないのだ。

この文章を読んで、驚きもしましたし嬉しくもありました。というのは、自分と同じようなことを考えてる人がこの世界にいることに気づけたからです。

 

本を読んでいて良かったと思うことは、著者の人生を通した新しい視点を持てること、「自分と同じ考えを持った人に会える」ことです。

 

話を戻します。

 

「逃げるということからも逃げている」という考え方もあるのではないか、と以前からなんとなく漠然としたイメージで自分の頭の中にはあったのですが、ここで自分の中で明確な形になった感じです。

 

自分も以前は逃げることに対して否定的な感覚がありました。それは、逃げることに対する恐怖心と、「なぜ自分だけこれほどの苦労をしているのに他の人は楽をして自分よりも多くの利益を得ているのか」という妬みのような感覚です。

 

今だからこそわかるのですが、たぶんそういう感覚を持つことってあんまり良くなくて、そういう感覚を持つということは、同じような感覚を持つ人がたくさんいる階層に無意識にシフトしていってしまう気がします。

 

そういった妬み的な感覚を持てば持つほど自分も苦しめられることになる。その時の状況が「自分にとってどうしようもない」とか「このまま続けたら死ぬかもしれない」ものであれば躊躇せず逃げるべきです。

 

「お前逃げるのか」と言った人が全ての責任を取ってくれるわけではない

例えば何かから逃げる時、仕事がきつすぎたり、上司や他の人との人間関係がどうしても上手くいかない時というのは誰でもあると思います。そのような状況から部活動とか学校、会社を辞めようとする時、先生や上司などから

 

「お前は逃げるのか」

「ここで通用しないのに他の会社(他の場所)で通用するわけないだろ」

 

と言われたりします。ですが、じゃあその人がこちらの人生の全ての面倒を見てくれるのかと考えた時、絶対にそんなことはありえないわけです。

 

「そんなの自己責任だ」と言われるのがオチではないでしょうか。

 

そうです。結局言うだけ言って、長期的に何かをしてくれるわけではないのです。言うだけ言って終わりです。

 

そのような人の言葉を真剣に聞く必要ってあるのかなと自分は思うのです。

 

もちろん完全に右から左に聞き流すのではなくて、ちゃんと聞くようにはした方がいいのでしょうが、何か言われたからといってその人の言葉通り全てに従う必要もないと思うのです。

 

例えば「逃げるのか」と言った人が、こちらの食事を1日3食作ってくれていてなおかつ何年もそういったことをしてくれる親のような存在であれば話を聞く意味もあるでしょう。

 

でも現実はそうではないわけです。「逃げるのか」「他の所に行っても通用しない」と言葉だけ言うだけ言って何もしない、むしろリアルに「死」へ追い込んでくるような人がいたら、そのような人から『「逃げる」ことから逃げてはいけない』と思うのです。

いずれ誰もが逃げなければいけない日が来る

ここまでは感情的、倫理的な感じで書いてきましたが、もっと歴史を俯瞰的に見れば、逃げる逃げないではなく「逃げなければいけない」時が誰にでも来ると思っています。

 

そもそも「逃げる」という言葉を使うから否定的に受け止められてしまうわけで、そうではなく、「シフトしなければいけない」と言い換えてもいいかもしれません。

 

では何から何にシフトしなければいけないかといえば、今までの工業社会の価値観や行動から、知識社会、知価社会への価値観、行動へシフトしなければいけないのではないか、と自分は思っています。(※ 知識社会、知価社会についてはこのブログの過去記事参照)

 

ですから、今後は『「逃げる」ことから逃げてはいけない』という発想や考え方を持つことも必要になってくるでしょう。

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