読書は他人の脳と繋がり「みかた」の拡張を可能にする行為である

今回の記事のタイトルの結論を先に言ってしまうと、「読書は他人の脳と繋がり「みかた」の拡張を可能にする行為である」とは、これを自分の言葉で表すと

  • 今までにない新しい視点を持てるようになること
  • 自分と同じ考えの人に出会えること

です。

 

このブログでは藤原和博さんの著書について以下の過去記事を書いています。

藤原さんの『本を読む人だけが手にするもの』の中の言葉を借りるのであれば、読書をすることで

  • 他人の脳のかけらをつなげることで、脳を拡張できること
  • 本を読むことで「みかた」を増やすことができること

と言えると思います。

 

今回はこのことについて思ったことを書いていきます。

このブログでの過去記事

読書をすると勉強になるとか著者の経験を追体験できるとか、その効果や目的は人それぞれです。一方で読書をするのが良いとわかっていても仕事や様々な事情から中々手につかないという人もいるでしょう。

 

そういった中でも、ここまで読書をしながらブログを書きながら気づいたのは、冒頭部分でも書いたのですが、今までにない新しい視点を持てるようになること自分と同じ考えの人に出会えることというのも、このブログでは以下のような過去記事を書いてきました。

今までにない新しい視点を持てるようになることについて

「今までにない新しい視点を持てるようになった」と感じたのは以下のような過去記事です。

テレワークについての記事は、企業がテレワークを導入することで「オフィスの稼働率」を上げられるという、今までにない見方、発想を得られたという記事です。

 

『異端者の時代―現代経営考』という記事は、これからの時代で企業が競争力を維持するためにはビジネスプロセスの抜本的な改革が必要であること、そのためには

 

「機械が得意なことを人間がサポートしてあげるという発想、人ではなく機械を中心に考える必要がある」といったことを書きました。

 

普通は機械が人間をサポートするものだと考えられがちですが、そうではなく、逆に「人間が機械をサポートする」という見方です。まさにこの発想はなかった、逆転の発想だなという感じです。

 

『今後の知識資本主義で生き抜くためには「知識の時給自足」が必要』という記事では、今後の世界では人がよりよく生きていくためには自立していく必要があります。

 

そのためには、過去の生物が生き延びていくために、自らエネルギーを作り出す仕組みを獲得して、より多くのエネルギーを獲得できるようになったように、

 

人間も知識を自分の人生をよりよくするための道具にできるようにして、多くの「知識」を獲得し、よりよく生きるための糧としていかなければならない、という内容です。

 

この記事も「この発想はなかった」という感じでした。

自分と同じ考えの人に出会えることについて

パソコンの中から出てくる手との握手

「自分と同じ考えの人に出会えた」と感じたのは以下のような過去記事で書いてきました。

『「逃げる」ことから逃げない』という記事では、逃げるということは世間的には良くないこととされています。ですが、逃げることに対して恐怖を感じることは、それも「逃げているのではないか」と思ったわけです。

 

そのような変な考えを持った人というのは、自分だけかもしれないと以前から思っていたのですが、偶然にも自分と同じような考えを持った人と本を通して出会えたという内容です。

 

「成熟社会では本を読まない人は生き残れない」という記事では、以前からなんとなくは気づいていたのですが、やはり自分から書くというのは憚られていました。

 

本を読む読まないというのは、現実社会で周りの人を観察してもあまり違いはないかのように見えますが、そうではなく見えない部分で厳然たる「階層」が存在していると自分は感じていました。

 

今後の世界では本を読まなければ生き残れない、そうではなくても少なくとも「よりよくは生きられない」と思っていました。ですが、それはもしかしたら自分の勘違いかもしれないし、なかなか表立って言い辛い内容でもあったので、このブログでは書いてきませんでした。

 

ですが、藤原さんの著書に出会うことで、「あぁ、自分と同じこと考えてる人ってやっぱりいるよね」と感じることができて非常に嬉しく感じたのを覚えています。

 

自分が感じた読書をすることで良かった2つの以下の点に対して、藤原和博さんの『本を読む人だけが手にするもの』には次のように書かれています。

  • 他人の脳のかけらをつなげることで、脳を拡張できること
  • 本を読むことで「みかた」を増やすことができること

自分の考えは藤原さんの言葉で次のように言い換えることもできます。

 

「今までにない新しい視点を持てるようになった」
→他人の脳のかけらをつなげることで、脳を拡張できること

「自分と同じ考えの人に出会えた」
→本を読むことで「みかた」を増やすことができること

このような言葉に言い換えられたのは自分にとって新たな視点であり、同じような考えを持った人に出会えたとも言えます。

他人の脳のかけらをつなげて拡張するとは

藤原和博さんの『本を読む人だけが手にするもの』には、他人の脳のかけらをつなげて拡張する、という言葉について次のように書かれています。

p.79

私の脳を、仮に「藤原脳」と呼ぶことにしよう。脳内でレゴブロックを自在に組み上げるためには、藤原脳を拡張させなければならない。そのためにはさまざな学びが必要だ。

 

しかし、一人の人生で、自分が見て経験できることには限界がある。だから他人が獲得した脳のかけらを藤原脳にたくさんくっつけることができれば、もっと拡張することが可能となる。

 

まったく異なる脳のかけらをくっつけることで、自分の持っている脳では受容できなったものが受容できるようになるからだ。

この発想は非常に重要だと思っていまして、「人間原理」という言葉があるように、自分が「知覚」できなければその人間にとっては存在していないも同然になってしまうからです。

 

例えばインターネットがなかったらここまで本を読むことはなかったでしょう。インターネットがあるからこそ、多くの本が中古で安く手に入りますし、自分の足を使って本屋に行かなくても自宅まで運送会社が人が運んでくれます。

 

そして本を多く読めるようになったからこそ、今のような生活ができるのであり、そうでなければ、間違いなく今までの古い価値観に縛られていたはずです。

 

例えば「逃げてはいけない」とか「正社員は安泰だ」といった発想です。

 

本を読んでいなければ、新卒で入った外食産業の会社で今でも死にそうになりながら働いていたでしょうし、このようにブログを書くという発想も生まれなかったと思います。

本を読むことで「みかた」を増やすとは

藤原和博さんの『本を読む人だけが手にするもの』には、本を読むことで「みかた」を増やすことに対して次のように書かれています。

 

「みかた」には「見方」と「味方」があります。

p.87 本を読むことは、「みかた」を増やすこと

本を読んで、他人の脳のかけらとつながるというのは、言い換えれば、「みかた」をふやすことだ。みかたには2つの意味がある。

 

1つは「見方」を広げ、増やすこと。

本を読むことは、著者が獲得した智恵を、読者の脳につなげる行為である。自分の脳を他者の「脳のかけら」とつなげることで、自分の脳が拡張される。

 

世界を見るための視点や智恵を獲得することで、読者は世界の見方を広げ、多面的かつ複眼的に思考できるようになる。

新しい視点を見つけることに対しては「見方」を増やすと言えるでしょう。

p88

もう一つは「味方」を増やすことである。

たくさんの著者の脳のかけらを自分の脳につなげることで見方が拡張されると、さまざまな脳(人)との交流が可能となる。

 

そうすることで、他者と世界観を共有することにつながる。そして共通がいくつも発見され、脳のなかに共有のドメイン(領域)を築けた相手が、結果的に自分の味方になってくれることにつながるのだ。

読書をすることで「味方」を増やせる、と。これも非常に重要な発想だと思います。人間というのは一人で生きていくのは中々難しいことです。

 

それが例えば、多くの人が進んでいる道とは違う少数の人しか進んでいない道を進もうとすればなおさらです。そのような道は険しく孤独でもありますし、精神的にも不安になってきます。

 

ですが、「自分と同じ考えの人がいる」ということがわかるだけでも非常に心強いものです。「この道で間違っていないんだな」と感じられ、これは「味方」が増えるとも言えるでしょう。

まとめ

このブログでは以下のような過去記事も書いています。

生物学的に人間と動物と違う所はどういった所なのか。それはわかりやすく現代のゲーム風に言えば「強くてニューゲーム」ができること。

 

もう少し言い換えると、動物は共通して理解できたり保存できる言語を保有していないので、他の同じ種類の動物が経験したことや知識を共有することができません。

 

しかし人間は自分が経験しなくて他の人が経験したことを言葉でも本でも動画でも何でもいいのですが、様々な媒体によって擬似的に共有することができます。

 

この能力によって何事も1から始めるような手間がいらなくなっているのです。逆にこの能力を活かさなければ人間の中でもこれから先、いろんな意味でその人ごとの生きる世界というのが分岐していくと思っています。

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