目標管理制度(MBO)での努力も結局は「店長の気分次第」で昇進が決まってしまう

前回は以下のような過去記事を書きました。

世間の一般的なイメージでは「大企業というのは安定している」というものがあります。ですが、「大企業である」ということはその規模になるまでに、それ相応の期間が存在したということを書きました。

 

ということは、内部に在籍している人間の平均勤続年数というのも高くなっていることが伺えます。

 

ある一定の空間に一定の期間同じ人間が存在していると、その中での組織運営を円滑にするために様々なルールが生まれるといったことも書きました。しかし組織運営をよくするためにつくったルールが必ずしも組織のためになっていない所が存在するのもまた事実です。

 

大企業においては新卒で入ってきた社員に対して、一律に確実に効率的に自社の業務を学習してもらうために「目標管理制度(MBO)」というものがあります。

 

特に外食産業における目標管理制度(MBO)というものに対して、問題点があったと感じていたので、その点について以前から考えていたことを書いていっています。

外食産業の大企業における目標管理制度(MBO)というものについて思うこと

「あぁ、あれが目標管理制度(MBO)というものだったんだろうな」

 

中小企業診断士の勉強をしている時に「目標管理制度(MBO)」という言葉があることを知ったのと、その時にその言葉が自分が新卒で入った時の会社の制度が頭の中で結びつきました。

 

企業の中には「目標管理制度(MBO)」というものを採用している所もあります。目標管理制度(MBO)について以下のサイトでは次のように書かれています。

目標管理制度(MBO)とは、個別またはグルーブごとに目標を設定し、それに対する達成度合いで評価を決める制度で、Management by Objectivesと書きます。1954年にP.F.ドラッガーが自身の著書の中で提唱した組織マネジメントの概念です。

 

個別に何を達成させるのかを明確にし、個人と組織のベクトルを合わせ、最終的に個人の目標と組織の目標をリンクさせます。

 

上司から一方的に指示し業務を遂行させるのではなく、個人が、組織の目標についてどのように考え、自身はどのように目標設定をするかを考え上司やリーダーと共に話し合いリンクさせていくので、「やらされ感」がなくなり、組織の成功に貢献するという参画意識を持たせることができるので、個人個人が意欲的な取り組みができます。

「やらされ感」がなくなり

ふむ、なるほど、個人の目標と企業の方向性とを一致させて、個人の「やらされ感」がなくなる、とのことですが本当にそうでしょうか?

 

自分が以前いた企業でもこういった感じの教育体系がありました。そこでは、目標設定とか成長度合いとか業務の進捗度とか定期的に上司と相談していた時がありました。

 

その時の自分の気持ちとしては、正直「やらされ感」満載でした。その時入った企業というのは、確かに「他に行ける企業がなかった」から「仕方なく」入ったため、自分の進みたい方向と合わなかった、と言えるでしょう。

 

この目標管理制度というものに自分はすごい違和感を持っています。どのような違和感を感じるかというと、会社に入ってくる人間に対して「人間扱いしてないんじゃないか」と感じるからです。

 

この感覚に近い記事として、このブログでは以下のような過去記事を書いています。

あまり言いたくはなかったのですが、他の人も薄々は感じているのかもしれません。もっとはっきり言ってしまうと「大企業ってそこに入る人を家畜扱いしているのではないか」ということです。

 

冒頭の過去記事では特に以下のような文章を書いています。

「人」という個人の単位でも「日本」という国の単位でも、それが存続し続けるためには、「一定の共通したルール」が必要になってくるのです。

 

これらの例のように会社の規模が大きくなればなるほど、社内での「共通したルール」が必要になってきます。

 

最初のうちは明文化された「共通したルール」でも機能していたものが、規模が大きくなればなるほど様々な事例に遭遇していくわけで、現場ごとにルールをつくっていたのでは対応できなくなります。

 

そこで組織を機能させていくには「暗黙の共通したルール」ができるようになっていきます。慣習とか「根回し」という言葉がここでは合うかもしれないですね。

 

ということは、規模が大きくなればなるほどルールに従える人は優遇されて、「自分で考えることができる人」というのは排除されていくようになります。先の人間の体の例でも挙げましたが、手足が自分の意志とは関係なく勝手に動かれたら困りますからね。

ルールに従える人は優遇されて

 

自分が企業を見る今の感覚としては、ルールに従える社員を「企業の進ませたい方向に教育する」ということではないかと思っています。

 

ここで注意したいのは、社員が進みたい方向に本当に企業が手を貸してあげるわけではなく、企業が進みたい方向と社員が進みたいと思っている方向が一致していれば企業は社員に手を貸してくれる、ということです。

 

目標管理制度は、表向き社員の自主性を重んじて「やらされ感」をなくすとは言っています。

 

でも、それを差し引いても「やらされ感」はすごいありました。要は個人の気持ちは無視して、企業の方向性に合うような人間にしたい、ということが原因でしょう。

 

当時実際に経験してみてなんとなく伝わってはきてはいました、あの上司の無理やり感と無機質感から。

 

実はこの制度に対して他にも問題を感じていました。それは「簡単すぎる」のと「上にいくのは結局は直属の上司の気分しだい」ということです。

 

これがどういうことか説明していきます。

 

外食産業の大企業で用意されている教育プログラムの問題点

これは他の企業に当てはまるかどうかはわかりません。MBOとか教育プログラムがある大企業を経験したのは一社だけだったので。その中で自分が感じた「問題点」をいくつか書いていってみます。

 

自分が感じたのは「簡単すぎた」という点です。まぁ、こういったブログという場所ではあまり詳しくは書けないのですが、「これって社会人になった人間がやることなのかなぁ」とは感じてはいました。

 

確かに企業としては、そのプログラムを社員にやってもらえればその企業で出世しやすくはなると思います。その企業でよりよく仕事ができるようになるための知識や能力を身につけることができる内容にはなっているので、その企業で生きていくのであれば有効でしょう。

 

ですが、その教育プログラムはそのときにいる企業でだけ通用するものであって、他社でも活躍できるかと聞かれれば疑問です。

店長が自分の評価のために部下の昇進を抑えるという弊害

自分が感じた目標管理制度(MBO)という教育プログラムの問題点としてもう一つあります。それは店長が自分の評価のために部下の昇進を抑えるという弊害があったということです。

 

当時自分がいた会社の目標管理制度(MBO)は「これができるようになったら、この段階、この職位に進める」といった感じになっていました。

 

これはどういうことかというと、上司から見て目標管理制度(MBO)において部下の職位、段階が上がるということは給与が上がるということです。

 

それはつまり、部下が在籍している店舗の売上に対して費用が増加するので「利益が減る」ということに繋がってきます。

 

本社から見て、利益が少なくなる店舗というのは評価上あまりよろしくないものになるとも言えます。そのような評価制度だと店長はどのような行動をとるかというと、「部下の昇進を抑える」ということをしてきます。

 

例えば10段階評価の中の5のレベルでも申し分のない社員がいたとします。通常は5の評価を与えるのが普通ですが、これが実際の現場の状況となるとそう上手くはいきません。

 

店長も人間なので、社内における自分の評価を高めるために、部下の昇進を抑えて給与を上げず、なるべく店舗の利益を出そうとする行動をとろうとします。

 

それは「店長の評価」という非常に個人的なもののために、会社全体の規模の拡大はもちろん、「部下の人生」を犠牲にしているということでもあります。

 

こういったもののために、当時自分が在籍していた店舗の先輩社員や他の店舗にいた社員の話から、本来であれば店長とかもっと上の職位になっても良いのに昇進できなかった人たちがたくさんいました。

 

当時の先輩社員も、能力的、目標管理制度(MBO)の進捗状況的に明らかに昇進してもおかしくない状況でした。それなのに店長の個人的な評価(店舗の人件費を上げると利益が出ないから店長の評価が下がる)のために先輩社員の昇進が押さえつけられていたので、よく愚痴を聞いたものです。

 

最終的に下の人間を昇進させるかどうかを決められる権限を持っているのは店長であって、結局は「店長の気分次第」なのです。

 

自分はこのような経験をしてきたので、経営の勉強をしていくうちにこの目標管理制度(MBO)というものは本当に有効なのだろうかと疑問に思うようになりました。

まとめ

ここまで書いたように、大企業における目標管理制度(MBO)というのは必ずしも機能しているわけではないということです。そこには個人の思惑が渦巻いています。

 

どれ程IT技術を駆使して、どんなに高度な方法を取り入れても、人間がやることなので、個人の裁量や気分という恣意性が高いもので個人の努力が評価されてしまう部分はどうにもならないのかもしれません。

 

この問題点は冒頭部分や過去記事でも書きました。全体に共通するようなルールをつくったとしても規模が拡大すればするほど、中央の目が現場に行き届かなくなってくる、

 

そのような状況で組織運営を円滑に進めていくためには、権限委譲、慣習や根回しといったものが必要になってくるということは書いてきました。

 

そのように現場へ匙加減が委ねられた「店長」がどうするかというと「個人の評価の向上」に走りがちです。人間というのは全体が見えないと視野狭窄に陥りやすいというか、どうしても目先の利益に追いかけてしまうのかもしれません。

 

これと類似する別の事例として以下のような過去記事も書いています。

牧夫が自分の利益を最大化したいと思いゼブ(牛)にどんどん牧草を食べさせるのですが、その行き着く先は悲惨な結果が待ち受けているというものです。別の言葉では「合成の誤謬」とも言われます。

 

「個人の利益の最大化が必ずしも全体の利益の最大化に貢献するというわけではない」という意味です。

 

その結果がどうなるのかというのは、昨今の大企業の衰退ぶりを見れば明らかです。

 

時代は移り変わり、今は工業社会から情報社会、知識社会へと移行していっています。全体の時代の移り変わりが見えないと、どうしても前時代的な考え方に固執してしまいがちになります。

 

そこには「いかにモノをつくるか」「いかに効率的に進めるか」という考えに終始してしまいがちであり、個人がそのように無意識に考えていることの背景には企業の思惑が絡んでいるのです。

 

この記事の続きです。
就職活動するのであれば若くて新しい企業が良い理由 – 知識の倉庫の整理

コメント

  1. 管理者 より:

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