昨今、「工業社会から情報社会、さらには知識社会に移行している」なんて本やインターネットで見かけたりしますが、以前の自分にはまさか「社会が進化している」なんて発想は皆無でした。
今回の記事では、この「社会が進化している」という発想について書いていってみます。
ぺティ・クラークの法則
同じ階層の中で「変化している」というイメージはなんとなくありました。第一次産業とか第二次産業、第三次産業も以前の自分の頭の中では並列にとらえており、違った種類というだけといった捉え方でした。
しかし、経済の歴史とかぺティ・クラークの法則なんてものがあることを知ったときは自分の頭の中で明確に切り分けられ、階層化された感じでした。ちなみに ぺティ・クラークの法則については以下のような過去記事を書いています。
これらを促進しているものは、やはり技術の進歩でしょう。そしてここ数十年は「IT」という技術によって、「世界がつながった」と仰る人もいます。
自分も最初は、「ITの技術」とか「世界がつながった」なんて言葉を知ったときは「へぇ~、すごい世の中になったんだなぁ」とまるで他人事のように考えていました。
今思うとどうしようもない程自分は危機感が皆無だったと思います。しかしその事実を段々と理解するようになっていくと「勉強しないとやばくないか?」と考えるようになります。
何かを勉強しないといけない、というのは感じるようになっていくのですが何をどの方向で勉強すればいいのかわかりませんでした。世の中のことを知れば知るほど危機感が募るばかりです。
ITやインターネットによる経済構造の変化
そもそもなぜ危機感を感じるようになっていったのか?それは「代替可能な労働力であれば、何も日本人でないといけない」というわけではなくなってしまったからです。国内でもそれは言えると思います。
例えば「インターネット」とか「価格.com」といったサイトでいろんな商品の価格が比較できてしまいます。書店に行って新品の値段で買わなくても、Amazonを利用すれば中古で本が買えてしまいます。
例えば、定価2,000円の本を1,000冊買うには200万必要です。しかしAmazonであれば、無限大にある在庫から、最大で258円(現在は本体価格が最安1円+送料257円)で買えてしまいます。その値段で1,000冊であれば25万8千円と200万に比べればかなり安くなります。
今までは物を買うにはテレビとか、新聞の折込チラシの広告を見ることぐらいしか、比較の手段がありませんでした。
行動力がある人であればもっといろんな情報媒体を利用していたかもしれませんが、コストや労働に見合うメリットはそこまで大きくはなく、とりあえず日常生活ができるのであればそれだけで十分と考える人がほとんどだったでしょう。
学歴や知識の面でもそれは言えるでしょう。自分は以前とある某県の田舎に住んでいたのですが、近くにまともな本屋なんてほとんどありません。
ある程度の本を買おうとするなら隣町まで行かなければ大きな本屋はないのです。今だからインターネットが使えたり、東京に住んで紀伊国屋など日本でも屈指の在庫がある本屋を見ることができるようになりました。
今までは1冊本を読み通す、ということすら自分にとっては大変なことでした。しかしITなど情報インフラが整備され、いろんな本を安く買えるようになって「世の中にはこんな面白い本がたくさんあるんだ」ということが段々とわかるようになります。今では1日1冊2冊本を読むことはそれ程苦ではなくなりました。
そのような経験をしてきたのでわかりますが、やはり地方の大きな本屋でさえも在庫は限られています。
そのような地方の環境でインターネットとか、紀伊国屋などの存在を知らずに生活していればどうしたって学力に差は出てしまいます。
今でこそ東京で仕事ができていますが、ITがなければ、おそらく今でも以前住んでいた所に今でも居て、どこかの小さな酒屋でアルバイトの生活をしていたかもしれません。
それが全世界で上記のようなことが起こるとなれば、世界と日本の格差は「小さく」なるでしょう。
代替可能な労働力というものについて
代替可能な労働力であれば、元々東京に住んでいる人でなく、以前の自分のように地方に住んでいる人でもいいわけです。
代替可能な労働力であれば、元々日本に住んでいる人ではなく、例えば中国に住んでいる人でもいいわけです。
上記で、ITによって近くのお店ではなくても、良いものが安く買えるということがわかってしまったように、世界でも良い労働力がどこで安く買えるのかわかってしまってきているんだと思います。
それは以前の過去記事にも書いたのですが、例えばコンビニや飲食店での外国人労働者の存在です。
ということは自分は、代替可能に存在になってはいけないということですね。であるならば自分は何か勉強しなければいけないのではないか、と考えるようになっていったわけです。
どの方向でどんな勉強をすべきか、それはまたこれからの記事で書いていきたいと思います。
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