今回の記事のタイトルは『「成熟社会では本を読まない人は生き残れない」という発想について』です。なんとなくですが、今回の記事のタイトルのような考えが以前から自分にはありました。ですが、結構強めの言葉なので自分ひとりの言葉で記事の形にするのは今までためらっていました。
ですが、藤原和博さんの『本を読む人だけが手にするもの』を読んでみて「あぁ、やっぱり自分と同じことを考えてる人って世の中にいるんだなぁ」ということに気づけたので、今回はそのことについて思ったことを書いていきます。
『本を読む人だけが手にするもの』の大まかな内容
『本を読む人だけが手にするもの』の著者である藤原和博さんは、民間企業で働いた後に学校の校長先生にあるという異色の経歴の持ち主です。
リクルート社で働いた跡に、杉並区立和田中学校の校長先生を務め、そこで図書室の改造を行い、後に様々な功績を生み出しました。
本書は、今後この日本は「成熟社会」に移行していき、その日本では身分や権力やお金による「階級社会」ではなく、「本を読む習慣がある人」と「そうでない人」に二分される「階層社会」がやってくるだろう、と述べています。
なぜ「本を読む習慣がある人」と「そうでない人」に二分される「階層社会」になっていくのでしょうか。それは今までの大量生産大量消費の右肩上がりの成長の社会では、「みんな一緒」が良しとされました。
そういった時代にはある程度の決まった幸福パターンがありました。ですから「長い物には巻かれろ」という言葉があるように、自分で何かするよりも決まった幸福パターンに乗る方が楽だったのです。
それが可能だったのも、例えば今までであれば国が定年後の人間に対して「年金」という制度で老後の人生の面倒を見てくれるという形があったからだし、
企業が「給料」という形で毎月の生活の面倒を見てくれたからです。しかし今の時代や今後は、昨今の経済情勢を見れば明らかですが、国も企業も国民の生活の保証ができなくなっていくでしょう。
決まった幸福パターンに乗ることは難しくなってきましたし、長い物に巻かれても生活の保証はしてくれません。もう「みんなと一緒」はできなくなってきています。
要は「もう依存できない」ということです。
そういったこれからの世界で必要なのは、「読書」であり、読書を通して「自分オリジナル」の幸福論を築き上げなければ生きていくのは難しいと著者は述べているわけです。
電車に乗っている人を見て気づいたこと
今の社会において、多くの人が電車で会社に通勤されていると思います。その電車内のことで藤原さんは次のように述べています。
p.196 あとがきにかえて
これを書いてしまったら、電車に乗っている半分の人に嫌われることはわかっている。でも、申し訳ないが、やはり書かざるをえない。
電車に乗ると、必ず目につく光景がある。
目の前に(片側)座っている7人の人のそれぞれの過ごし方だ。男性はケータイやスマホでゲームをやっている人が多く、女性はスマホでショッピング系の検索をしたりオンラインでウィンドウ・ショッピングをしていたり。居眠りしている人も多いが、なかには本を読んでいる人もいる。
あなたがもし、ある有望な会社の人事部長で、これからこの7人を残らず面接試験して、たった1名の入社を決めなければならないとしたら、どのタイプの人を採用したいだろうか?
(前略)
さあ、このへんで、はじめの質問に戻ろう。あなたが人事部長だったら、電車のなかで、読書をしている人と、ずっとスマホとにらめっこの人、どちらを採用するだろうか?
(後略)
私なら、読書をする人を優先する。なぜなら、ケータイ/スマホから離れ、読書習慣があるというのは、単なる生活習慣の排除と追加ではないからだ。生き方の選択なのだ。
そして、読書をする人は、この本に書いてきたように、著者の脳のかけらを自分の脳につなげることで脳を拡張し、世界観を広げられる人だ。
確かにそれは自分も以前から感じていました。ただ、自分の個人の意見として言うのはいろいろと気まずいというか躊躇してしまっていたので、今日までこのネタは書いてきませんでした。
ですが、藤原さんのように自分と同じような考えを持った人が世の中にいるということがわかれば自分の考えも言いやすくなります。
「これからの社会を考えると、本を読まないってやばくないか?」と。
これからの社会では、みんなと同じパターンではよりよく生きていくのが難しいのは自分でもある程度感じてはいます。
そういった世界に進みつつある今の世の中でさえも、通勤電車内で本を読んでいる人を見かけるのは稀です。
例えば、「おっ!この人は本を読んでいるな」と思って、チラッと中身が目にはいった時に、実際は「クロスワードパズル」をつくっていたりします。
自分の感覚では、電車内でちゃんと本を読んでいる人というのは「10人~20人に1人」ぐらいです。
本書では読書をする人になれば、全体の中の「10人に1人」になれるとありますが、自分の感覚でもそれぐらいかなと感じています。
社会的蓄積・共有・継承システムと「脳のかけらをつなげる」という発想について
藤原さんの『本を読む人だけが手にするもの』には、本を読むということは他人の「脳のかけらをつなげる」ことであると述べています。
本を読むことが重要であるということは何となくわかります。今までにない知識や価値観に触れることは、自分の世界を広げてくれることでもあります。
それは何となくわかるのですが、なんだかモヤモヤします。「倫理的に良い」というわかるのですが、もっと根本的に納得できる答えというのはないのでしょうか。
自分なりに考えた答えというのは、以下の過去記事にも書きましたが、「ヒトと動物との違い」に関するものです。
もっと今風にわかりやすく言えば「つよくてニューゲーム」ができるから、といった事を書きました。
藤原さんは読書をする人は「脳のかけらをつなげる」ことができると述べています。その考えの背景には上記の過去記事にも書きましたが、人間というものの強みである「社会的蓄積・共有・継承システム」があるのだろうと思います。
会話による音声情報と紙に書かれた文字情報との違いについて
ヒトが持つ強みである他人とする「コミュニケーション」というのは「社会的蓄積・共有・継承システム」も機能している、というのは以前述べました。
人間が持つこのシステムの強みは、「わざわざ自分の体験を通して1から始める必要はなく、他人の経験したものを吸収できる」ということです。
つまりこのシステムを利用すれば、ゲーム風に表現すると経験値が1とか2ずつ増えていくのでなく、10とか20ずつ増やしていけるということです。
ではもっと効率的に自分の経験値を増やす方法はないのでしょうか。
確かに「耳に聞こえる『言葉』」でコミュニケーションすることはできますが、それ以外にも「目」でもコミュニケーションすることができると言えなくはないでしょうか。
視覚から得た文字情報を脳内で咀嚼することは、本の著者の人生を読者が辿ることでもあり、「脳のかけらをつなげる」とも言えます。
それは動物とは違う能力を持ったヒトの強みを生かすということでもあります。
音声情報とテキスト情報とでは、その情報量や利便性にも違いがあります。例えばパソコン内でテキスト情報とmp3といった曲などの音声情報を比べるとわかりやすいのではないでしょうか。
文字の数を見ればわかりやすいと思うのですが、テキスト情報の方が音声情報に比べて圧倒的に容量が少ないにも関わらず、その情報量はテキスト情報の方が多いです。
ということは、テキスト情報のほうが、より多く自分の中に「蓄積」できるということでもあります。
人との会話による言葉はその時は耳から聞いて覚えているかもしれませんが、紙に書く文字とは違って一瞬で消えてしまいます。一方紙に書く文字情報は何かトラブルがない限りは、ずっと残りますし、後から見返すこともできます。
この辺が音声情報よりも、本などに書かれている文字情報の方が利便性が高いと言えるのではないでしょうか。それにコミュニケーションといいうのは別に「会話だけではない」ということでもあると思います。
もちろん自分が学んだことを、人にわかりやすく言葉で説明できるのが一番良いのでしょうが、本とかメモとか紙に書いた文字情報でも意思疎通できることも立派なコミュニケーションと言えるのではないでしょうか。
まとめ
つまりは以下の通りです。
- 動物と違う人間の強みは「コミュニケーション」を通した「社会的蓄積・共有・継承システム」である。(自分ではなく、他人の経験を自分のものとして吸収できるということは、実はすごいことなのである)
- 音声による会話を通したコミュニケーションで、他人の経験を自分のものとして吸収できる
- 文字情報は音声情報よりも効率的に他人の経験を疑似体験できる。そのため、さらに効率的に自分の経験値を高めることができる。
藤原さんは今後は「成熟社会」になっていくと書いていますが、他の人の言葉では、今の社会は農業社会、工業社会、情報社会、さらには今後知識社会になっていくであろうという風にも言われています。
より高度な知識が必要とされる知識社会において「自分の経験だけで経験値を高める」というのは限界があります。
1ずつ増やしていくよりは、100とか200ずつ増やしていけた方が効率が良いというのは明らかです。
なぜ「成熟社会では本を読まない人は生き残れない」ということになるかというと、以上のようなことが前提にあると考えています。
本を読まずに自分の経験「だけ」で経験値を1ずつしか増やせない人と、本を通して自分の経験値を100や200ずつ増やしていける人が存在する社会であるならば、「階層社会」になっていってしまうのも頷けます。
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