他国と比べて日本のホワイトカラーの生産性は著しく低いという話があります。最近では労働時間規制の適用除外制度、いわゆる「残業代ゼロ」制度が含まれる法案が既に国会に提出されているようです。
現在の日本の競争力という観点から、どうしてもこういった部分は避けては通れないようです。
そういった中で、最近はP.Fドラッカーの『ポスト資本主義社会―21世紀の組織と人間はどう変わる』を読んでいました。
以前この本を買って読んだのですが、今は時間があるのでもう一度読み返している所です。
このブログでは以下のような過去記事を書いています。
多くの本を読んでいくうちに、「社会が成長している」という概念があることを知るようになります。
この世界が、農業社会→工業社会→情報社会、そして今は知識社会への過渡期であるということを知るようになり、この分野に興味を持つようになりました。
そういった関連と、昨今の日本の生産性という観点から『ポスト資本主義社会―21世紀の組織と人間はどう変わる』はおもしろそうだと感じ購入したという次第です。
ポスト資本主義社会とは
「ポスト」とは、郵便箱とか地位、役職といった意味がありますが、ここでは「~の後」といった意味に使われます。
つまり資本主義社会の後の社会ということになります。では本書ではこの資本主義社会の次はどのような社会が来るかを想定しているかというと、「知識社会」という社会について触れています。
知識社会とは
本書では今後きたる知識社会における生産要素は、資本でも、土地でも、労働でもなく、「知識」とあり、ポスト資本主義社会における支配的な諸階級は、資本家やプロレタリアに代わって「知識労働者」と「サービス労働者」と書かれています。
ここ数十年を見ると、技術の向上や経済のグローバル化から企業の競争力の観点から、日本ではなく人件費や土地代の安い海外に工場を建てて製品を生産している企業が増えています。
資本とか資金という面でも、銀行からの借り入れだけでなく、株式発行や社債、最近ではクラウドファンディングなど、資金の調達方法は多様化し、銀行の影響力や「お金の価値」というのも減少しています。
このような背景に加えて現在の日本でも、製造業者に従事するひとの割合は年々減少し、代わりにサービス業に従事する人や、高度な知識を要する職に就いている人の割合は上昇しています。
そのような世界の中で、今度は何に対して価値が生まれるか、向上してくるかというと、「知識」になってくるというわけであり、「知識」に価値がおかれる社会を「知識社会」としています。
本書では、これからの世界だけではなくて、過去にも「知識」は非常に重要な役割を果たしていたと述べています。
グーテンベルクの活字活版印刷技術とテイラーによる「生産性革命」
歴史上今の時代程、「知識」というものに対して焦点が合わせられた時代はないのではないでしょうか。
資本主義社会は資本家とプロレタリア(労働者階級)に分けられ、プロレタリアは資本家に収奪・従属させられていたとあります。
しかし「フレデリック・ウィンスロー・テイラー」によって仕事に対して知識を適用した「生産性革命」によって、プロレタリアは豊かな中流階級へと変質しました。
テイラーによる生産性革命は、活字活版印刷技術の普及と伴に歴史上、非常に重要な意義があると言われています。
もし仮に、当時活字活版印刷技術が生まれていなかったら、多くの人の目に活字が触れる機会がなく、一部の裕福な宗教家や宣教師、王族と無知で膨大な人数の農民という構図が今でも存在していたかもしれません。
もし仮に、テイラーの生産性革命が起きなかったら、一部の裕福な資本家階級と奴隷のような労働者階級が今でも存続し、悲惨な世界になっていたかもしれません。
本書では、1500年以降の中国やイスラム圏の国々は活字活版印刷技術に対してどのような行動をとったのか。それは次のように書かれています。
p.322
中国やイスラム圏も、印刷機を使った。中国にいたっては、活字印刷ではなかったものの、その何世紀も前から印刷機を使っていた。しかし中国やイスラム圏は、印刷本を学校にとり入れなかった。学ぶことや教えることの道具として、印刷本を使うことを認めなかった。
イスラムの聖職者たちは、暗記と復唱に固執した。印刷本は、権威を脅かすものと見た。印刷本が、生徒たちに対し、独力で読み書きできる能力を与えるものだったからである。
中国でも、儒者は印刷本は退け、筆写を重視した。書に秀でることこそ指導的地位に立つ者に必須の要件であるとする中国文化の考え方と、印刷本は相容れなかった
要は国民を無知のままにしておいても、短期的には為政者にとっては良いかもしれませんが、長期的に見ると良くない結果に繋がります。
その後中国や他のアジアの諸国がどうなったかというと、歴史の教科書に書いてある通りです。
『資本論』で有名なマルクスは、貧富の格差や私有財産の存在は社会的な不平等の根源であるとして、階級闘争を通してその存在に制限をかける、あるいは廃止させて全体の福祉・相互扶助を図り、平等で豊かな社会がつくれると考えました。
ですが、本書では生産性革命によってマルクスが予想した階級闘争による共産主義の世界を打ち破った、とあります。
本来であればマルクスの予言のように、格差が拡大し続け、階級闘争が発生し、今の世界は共産主義の国だけの世界になっていたかもしれません。
そうならなかったのは、生産性革命によって格差の拡大がそれほど起こらず、一人ひとりの所得が伸びて豊かになっていったからです。
だから次の社会への移行において、悲惨な世界への分岐を回避するためには「知識生産性革命」なるものが必要なのではないだろうかと思いました。
本書ではこの部分において、「マネジメント革命」と書かれていますが、自分としては何か違うのでは?と感じています。
「革命」というぐらいですから、もっと飛躍的な、世界を一変させてしまうほどの何かが必要なのでは?と思うのです。
階級闘争と、共産主義を打ち破ったもの
個人的に「おもしろいな」と思ったのが、「生産性革命」によってもたらされる世界についてです。
テイラーの科学的管理手法は第二次世界大戦前から日本に導入されていたようですが、なかなか浸透していなかったようです。しかし、戦後のGHQによってこの分野の推進が強化されて、経済的に飛躍的な成長を遂げました。
対して、かつて存在していたソ連(ソビエト社会主義共和国連邦:1922年から1991年までの間に存在したユーラシア大陸におけるマルクス・レーニン主義国家)は1991年に崩壊しています。
日本とソ連、一見すると何の関係も無い、国と国の歴史の比較のように見えますが、そうではなく、これは個人的な視点ですが、このふたつの国を「生産性革命」を通して比較できるなと思いました。
かつてマルクスは、資本主義の発展により矛盾が増大すると、つまり資本家と労働者の格差が拡大し続けると、社会革命(社会主義革命、共産主義革命)が発生するとしていました。
その結果プロレタリア(労働者)独裁の段階を経由して、市場・貨幣・賃金労働などが廃絶された新しい無階級社会、つまり全てが平等な社会といった感じでしょうか。
そのような共産主義社会が生まれ、国や戦争などもなくなり理想的な社会が生まれると言われていました。
しかし、実際にマルクス主義が生み出したものは全くの正反対のものでした。そのことについて本書では以下のように書かれています。
p.39
経済システムとしての共産主義は崩壊した。共産主義は富を創造する代わりに、貧困を創造した。経済的な平等をもたらす代わりに、前例のない経済的特権を享受する官僚群からなるノーメンクラツーラをもたらした。
しかし信仰としてのマルクス主義は、「新しい人間」をつくり出せなかったがゆえに崩壊した。
代わりにマルクス主義は、「古いアダム」のもつ最悪の部分のすべてを強化し、顕在化させた。マルクス主義がもたらしたものは、腐敗、貪欲、権力欲であり、嫉妬、不信、圧制、秘密主義であり、欺瞞、窃盗、威嚇であり、何よりも犬儒主義だった。
「知識」というものをどう活かしていくのか。
恐怖政治で国民を無知のままにしておくのか。
それとも仕事に知識を適用したり、知識に知識を適用したりして生産性を上げるように国民を啓発していくのか。
知識の利用によって分岐した2つの世界、という見方ができるかもしれません。
かつて崩壊したソ連や、現在の中国を見てもらえればわかります。「共産主義」の言葉としての意味は理想的な社会を指しますが、現実問題として、引用した文章のように腐敗や貧困が拡大し、多くの問題を抱えています。
次の分岐点で理想的な社会へ移行するためには
以上のようなことから、日本が次の理想的な知識社会へ移行するためには「知識生産性革命」が必要じゃないのかなぁという考えに至る理由です。
では、それがどういったものか、それを実現するためにはどうすればいいのか、といったことについてはいまだはっきりとは自分の中で体系化はできていません。
ですが、単に格差が拡大し続けるのはやはり良くない結果につながるのではないかと思うのです。マルクスの予測とはかけ離れた世界のように。
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