この疑問はインターネットで検索すればいくらでも出てくるだろう、と思って調べてみたのですが、不思議なことにこれといった答えを見つけることができませんでした。
その疑問とは「なぜプログラミング言語の習得が叫ばれるようになってきたのか」というものです。
既に自分の中では「たぶんこういう理由からではないだろうか」というものは見つけました。なぜこういった疑問を持ち答えを見出したのかについては、最近多く書いているエクセルのVBAやマクロに関係があります。
現代を生きる私達は無意識の内に膨大な情報を取得しています。その中でも最近よく目にしたり耳にしたりするのが「プログラミングを勉強した方がいい」というものです。
その理由というのがよく目にするのが
- ものをつくる楽しさがある
- 問題解決できる力がつく
- パズルを組み立てるような面白さ
といったものです。こういった情報だけを見ても当時の自分の感覚では正直いまいちピンときませんでした。
自分は経理の派遣で働いてきた経験があるので、いろんな派遣の求人情報を見ます。その中のIT系の派遣の求人などは時給2,000とか3,000円のものを見るのも少なくありません。
初めてプログラミング言語やそれによって記述されたコードを見たときは、まるで違う国どころか違う星の言語かと思ったほどです。とにかく自分とは全く異なるレベルで優秀な人しか使えないから待遇も良いのだろうぐらいにしか考えていませんでした。
しかし経理としていろんな職場で仕事を経験し、最近はVBAも勉強するようになって「あぁ、もしかしたらこういう理由からプログラミング言語という言葉をよく耳にするようになったのかもしれない」と思うようになりました。
これはあくまで自分の感覚と推測なので、必ずしも合っているわけでありません。「こういった見方もある」という視点で読んでいただければありがたいです。
今回はこのことについて書いていってみます。
なぜプログラミング言語の習得が叫ばれるようになってきたのか
単刀直入にわかりやすく言えば、
- データ量が多くなってきたから
ではないかと思っています。要は今までのやり方では処理しきれないレベルまで電子空間上のデータが増えてきたのではないかと。
電子空間上にデータ量が多くなってきたこととプログラミングの習得がどう関係するのでしょうか。
経理とか人事とか税務とか事務的で日々パソコンを使うような仕事であれば何でもいいのですが、こういった仕事っていろいろと正確性が求められますよね。
正確性だけではなくて処理するデータ量も多いですが。例えば経理であれば日々銀行から入金データをダウンロードして会計ソフトに入力したり、月末の支払いのためにエクセルで取引先の表をつくったりという仕事が考えられます。
マーケティングに関する部署であれば、どういった属性の顧客がどういった商品を購入してくれたのかといったデータを膨大に扱っているかもしれません。
パソコンやインターネットなどの機械や技術が発展すればするほど、日々の私達が扱うデータ量というのも多くなってきています。
1990年代であればそれほど扱うデータ量も多くなくデータの質も単純なものが多かったでしょう。しかしそれから20年もの経てばやはり周りの環境もいろいろと変わってくるものです。
例えば、
- どこの都道府県のどの市区町村に住んでいるのか、
- どういった学歴なのか
といった外的な情報から
- その人の趣味嗜好
などの内的な情報もビジネスでは重要視されるようになってきました。「行動経済学」なんて言葉も耳にするようになります。
ビジネスなどで収集される情報の量が増加してきているのはもちろん、その質も多様化してきました。90年代であればデータサイエンティストなんて言葉は全然聞かなかったでしょうし、統計という考え方も重要視されていなかったと思います。
そういった言葉が私達一般の人間の目に前に出てくるようになったのも、やはり日々扱う「データ量」が増えてきているからではないでしょうか。
プログラミング言語が使えるようになると仕事で劇的にミスが減りスピードが速くなる
これは実際に経験してみてわかったことですが、プログラミング言語の効果や使い方がわかってくると以下の過去記事でも書きましたが、仕事で劇的にミスが減ってスピードが速くなります。
えぇ、今まで何時間もかかっていた仕事が一瞬とも言えるレベルで終わってしまうのです。この効果をしっかりと認識した時は驚愕でした。
「そりゃプログラミング言語を勉強しろって言うよな」と。
経理や他の事務的な仕事をしている人であればわかると思うのですが、一通り業務が終わってからのチェック作業がまた大変なんですよね。
自分は今まではひとつひとつ目視でペンでチェックマークをつけながらチェックしていました。しかし人間の感覚というのは非常に曖昧です。どんなに正確にチェックできたとしても間違える時はあります。
今までいろんな職場を経験してきましたが、全くミスをしない人なんていませんでした。どんなに口うるさく正確に仕事ができていそうな上司でもミスしていた時はありました。
日本の会社というのは非常にコミュニケーションというものを重視します。その理由のひとつがコミュニケーションを密にとることで聞き間違いとか聞き漏らしをなくすということでしょう。
だけど、どんなにコミュニケーションを密にとったって、どんなにスケジュールを正確につくったって、どんなに飲み会をしたって、「人間」がやっている以上絶対どこかでミスは出ます。
これだけミスが出れば「根本的に何かを変えるべきでは?」という発想が出てきそうなものだと思うのですが、日本の上の世代の人たちはどうしても今までの延長線上から外れることができないようです。
例えば人間ではなくて完全に機械やシステムに任せてしまったらどうか、と。しかしそれだと当人たちの雇用が失われてしまうので、彼らは気づいているのかいないのかはわかりませんが、機械やシステムに任せることはできないようです。
経理を基盤とするものとデータを基盤とするものの違い
経理を基盤とするものとデータを基盤とするものの違いが、今後多くの人の働き方を変える要因なってくるのではないかと思っています。
「経理を基盤とするものとデータを基盤とするものの違い」というフレーズに「経理」という言葉を入れましたが、これは別に経理じゃなくても税務でも人事でも今までの企業の部署にあったような言葉ならなんでもいいです。
この「違い」というものはなんなのか、これは完全に個人的な見方というか、自分の感覚なのですが、「組織」を基盤としているものと「個人」を基盤としてるものではないかということです。これがどういうことなのか説明していきます。
例えば「経理」って「企業」を基盤としていますよね。企業という組織がなければ経理なんて仕事も概念も生まれてこなかったのではないでしょうか。
もちろん厳密に考えれば「個人商店」でも日々の売上とか取引とか帳簿をつけるといった経理はあります。とりあえずここではある程度の規模の企業の経理をイメージします。
これに対して「データ」って個人が基盤になるんじゃないかと思っています。ここでのデータというものは非常に膨大にあるものをイメージします。例えば誰がどの商品を買ったとか、この人はどこの住所なのか、といったデータです。
これだけだと、なぜ経理とデータを「組織」と「個人」という風に分けたのかわかりづらいですね。
もう少し言うと、今後の仕事という面で仕事の重要性というか重心が組織から個人へ移行していくのではないかということです。
ちょっと話を変えますが、例えば「自動車」というものが生まれたからこそ、自動車が効率よく走れるように「道路」というものが生まれたわけですよね。それまではアスファルトを使って一定の幅を持った道なんてほとんどなかったのではないでしょうか。
また自動車が生まれたことで、安全に走れるように信号機とか標識、交通に関する法律もつくられるようになりました。
また、自動車というものが生まれることで人間の行動範囲が劇的に広がり、今まで見たこともない風景や楽しい場所も共有できるようになりました。
最初は自動車がメインだったけど、時代が経つにつれて自動車に付随して生まれたものがメインになっていったみたいなイメージでしょうか。将来は今までのようなガソリン自動車から電気自動車に置き換えられようとしているみたいですが。
例えが下手ですいません。もうひとつ例を挙げるのであれば、電車があります。日々私達は職場へ行くために電車を使っています。
これって職場へたどり着くためにその手段として電車を使っているのであって、電車に乗るのが目的ではないですよね。そういったイメージです。
今までは組織に重心があったけど、インターネットやパソコンというものが誕生して、そこから電子空間上に膨大なデータが蓄積されていくようになりました。
そして職種や仕事における価値は、膨大なデータの処理の方に重心が移ってきているのではないか、ということです。
企業というものが生まれたからこそ、その組織人として生きること、企業の日々のお金の取引を記録し分析する経理には価値がありました。
しかし企業内で扱うデータ量は日々増加し、今までのやり方では処理できなくなってくるのではないかと思います。それで重要になってくるのがプログラミングを通した業務の自動化です。
こういったことって「個人の知識に依存する」と思われます。どんなに人を揃えても人間の手で処理させても、やはりそれには正確性とかスピードの面で限界があります。
例えば、グーグルが検索エンジンを通して世界中の人間が日々アップロードする膨大な情報をひとつひとつ文章や画像を見ていって、
「これは重要な情報だから1ページ目にしよう」とか
「これは重要な情報ではないから圏外にしよう」
というような処理はしていないはずです。日々アップロードされる膨大なデータを自動で効率よく処理できる独自のアルゴリズムなどがあるはずです。
特に最近ではこういった処理に「人工知能」を使うようになったというニュースもあります。
今までの組織のように、飲み会に参加して、上司からの命令に何の疑問も持たず、結婚して、住宅ローンを組んで、会社への忠誠を見せれば、特に勉強しなくても問題はありませんでした。
これからの社会ではたぶんそういったやり方では通用しなくなるのではないでしょうか。今までは組織に重心がありました。だから組織に忠誠を誓うような生き方をしていれば歓迎されました。
しかし電子空間上に日々膨大に増加するデータを処理するには、組織に忠誠を誓ったからといって何の勉強もしていないのでは、仕事を処理する時間がかかりすぎたり、ミスが増えていったりといろいろと問題が出てくると思われます。
今後そうならないようにするために時勢を見極め、膨大なデータを処理できるようにするためにプログラミング言語を学ぶ必要があるのではないでしょうか。
米大統領「全ての人よ、プログラミングを!」
これはちょっと古い情報になりますが、当時のアメリカのオバマ大統領が国民に対してプログラミングの奨励の演説をしている記事です。
『(プログラミングの)スキルを学ぶのは単に将来に役立つからというだけではありません。 我が国の将来に必要なのです。 我が国が最先端をゆく国であり続けたいのであれば、 私達の生活を変えてくれるような、ツールや技術を習得した、 あなたたちのような若い人が必要なのです。
だから、私はあなたたちにやってほしい!
新しいゲームを買うだけではなく、つくってみよう!
最新のアプリをダウンロードだけではなく、創造してみよう!
スマホで遊ぶだけではなく、プログラミングしてみよう!
誰もが少しのハードワークと、数学、科学を使うだけで、 コンピューターサイエンティストになることができます。 この週は、それを試しにやってみるためのチャンスです。
そして、「できない」なんて言わせないようにしよう! あなたが少年であろうが少女であろうが、 都市に住んでいようが地方に住んでいようが、 コンピューターは大きな要素になることでしょう。 そしてあなたが一生懸命働き、勉強をすれば、 あなた達がその未来を築くのです! ありがとう。 』
なぜアメリカの大統領が演説までしてわざわざ特定の分野を国民に奨励するのか。今ならなんとなくわかります。
世界の人口は右肩上がりに増加していき、それに比例してパソコンやインターネットを使う人が増えていくでしょう。そうなれば今後さらにインターネットでも企業の扱う情報でもそのデータは増えていくはずです。
グーグルなどのITでも最先端をはしる企業になると「人口知能」にデータを処理させているようですが。こういった世の中になってきているのに、今後「より多くの情報を処理できない」のでは企業レベルや個人レベルでも他国との競争力という観点からは大きな差がついてしまうのでないでしょうか。
今まではエクセルのショートカットキーとか関数というレベルでなら対応できていたものがそれだけでは難しい時代が来るかもしれません。
更なる未来はどうなるか
今後さらに技術が発達していけば、高性能なコンピュータが開発されるようになるでしょう。そしてさらに電子空間上にデータが増えていくと思われます。
そうなっていった時、個人がプログラミング言語を使って業務を自動化するのさえ難しくなっていくんじゃないかと思います。そのような時代になっていった時、おそらくコンピュータに自動化の処理を命令するコンピュータに命令できるようになっていないといけないかもしれません。
おかしい表現に見えるかもしれませんが、その言葉どおりです。
それが現在「人工知能」と呼ばれるものではないでしょうか。人間がプログラミング言語を使ったプログラムだけでは処理は難しくなってくる。そうなった時に処理を代行してくれる「人工知能」に命令できるプログラミング言語の習得が更なる未来で必要になってくるんじゃないかなぁ、とここ最近で考えたことを書いてみました。





















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