今回の記事で自分がこのブログを始めてから101記事目となります。最初は2015年の4月から始めましたが、約11ヶ月目で到達することができました。
気づけばあっという間なのですが、「よくここまで書けたなぁ」というのが正直な感想です。
ここが1つの節目なので、ここまでで自分がどう考え、どうブログを更新してきたのかを書いていってみたいと思います。
記事の更新ごとの状況とその時に考えていたこと
1記事目~18記事目
4月5日からこのブログを始めました。「将来のことを考えて何か新しいことを始めてみたい」という、特に深くない動機がきっかけです。
この時は会社に行きながらの更新だったので、なかなか安定しませんでした。資格試験の勉強もしないといけなかったので、6月の途中から10月末まで休止することになります。
この最初の時期は「あれもこれも」みたいな、1つの記事に1つのテーマではなく詰め込みすぎ、もしくは分離しすぎといった内容が多かったです。
19記事目~25記事目
10月末に資格試験が終わり、結果発表まで時間がありました。この時期は会社は辞めており、丸一日自分のしたいことに使える時間があったので、毎日更新を意識して再開しました。
この時は「続くかなぁ」という不安がありました。というのも23記事目ぐらいで「あれ?25記事目も書けるのか?」という思いがあったからです。
まだ自分なりの「型」や、長期的なブログ更新のための展望、計画などなかったので、「とりあえず書こう、とにかく手を動かしていれば形になるはず」という意識で記事を書いていました。
26記事目~50記事目
11月中旬から12月ぐらいの時期です。この時期は「お?なんとなく書けるし続きそう」といった感覚を持てるようになりました。
丸一日ブログを書くための時間があったので、長期的にどういった順番で何を書いていこうか、と考えられましたし、段々自分の型や書き方がわかってきました。
ブログデザインや記事の文章の見やすさ、訪問者により多くの記事を見てもらえるように回遊性を高めたりと、自分のブログをいじり始めたのもこの時期です。
51記事目~75記事目
12月から1月上旬までの時期です。この時は「50記事?70?80?なんだか遠い世界のようだなぁ」と感じていました。
というのも、段々と自分の考えが変わり始めていて、
「最初に決めた計画通りに全て順番通りに書くのは難しい」
「1記事1つのテーマで書いていって、後でそれらを組み合わせて自分の意
図する記事を書いていった方がやりやすい」
と思うようになっていきました。
何でもそうだと思うのですが、やはりアクシデントや予期せぬ出来事、マンネリ化、スランプというものは発生してしまいます。
最初の計画も大事だと思いますが、ゴールに向かって途中で何らかのトラブルがあったとしても、適宜修正して進んでいけばいいのはないかと思います。
76記事目~100記事目
2016年の1月から2月の間にここまできました。この期間は会社で働きながらの記事の更新を続けてきました。ここまでの感想としては「意外と書けるものだなぁ」といった感覚です。
今までの蓄積があるとはいえ、やはり会社に勤めながらの更新はきつかったです。なるべく丁寧に書けるようにということで毎日の更新は諦めました。
土日更新して平日は中2日がいいのか、それとも土日含めて一週間で中1日の方がいいのか試行錯誤してきましたが、「とりあえず、無理せず、なるべく継続的に続ける」という結論に達しました。
ブログを書く上で意識してきたこと、気づいたこと

書くネタはたくさんありました。今まで読んできた本をアウトプットせず貯めに貯めてきたのでネタに困ることはないのですが、それをどうわかりやすい内容にしていくか、というのが課題でした。
今回の記事名にある「構造化する力」というのが必要だったのではないかと今では感じています。
この「構造化する力」という言葉は、他の方のブログ、もしくは本を読んでいて最近知るようになりました。以下の過去記事でも少し触れました。
「構造化する力」という言葉とはいったいどんなものなのかということなのですが、自分が調べた範囲では、ある物事に対して
- 要素化する(形がないものを形あるものにする)
- 要素間の関係を考慮しつつ、わかりやすく意味あるものに分類、整理する。
という意味のようです。以下の記事が具体例としてわかりやすいかもしれません。
問い:下記の言葉を二つのグループに分類した上で、二つのグループ間の関係を示してください
果物、オレンジ、もも肉、白菜、野菜、肉、りんご
答えの例:
<果物、野菜、肉><オレンジ、桃肉、白菜、りんご>さらに、果物のカテゴリーにオレンジとりんご、野菜に白菜、肉にもも肉が含まれるという関係性がある
これが、構造化である。また、ツマラナイ記事を読んでしまったと思わずに、少し先まで読んでほしい。
複数の物事(事実、意見、仮説etc.)には、何がしかの関係性があり、その関係性を明らかにすることが「構造化」である。
ここでは、食材の大分類(果物)と小分類(オレンジ、りんご)のカテゴリーと、どのカテゴリーが対応しているのか?という関係性を明らかにするのが構造化の意味することである。
他にもインターネット上で調べたところ、こういった考え方は研究されるほどの分野になっており以下の過去記事でも書きましたが、今後迎えることになる「知識社会」を生きていくうえで必要になるのではないか、と思います。
東京大学の知の構造化センターという所ではこの分野の研究が進んでいるようです。
東京大学知の構造化センターは、日々蓄積される大量の知識を、様々な構造化技術を用いて、新しい知的価値、経済的価値、社会的価値、文化的価値に結びつけるための「知の構造化」の研究開発を進めています。
学問の分野では日々大量の知識が生産されています。ところが、学問が細分化されすぎて、専門家でも専門外のことが分からなくなっています。また日常生活においても、役に立つ情報を得るにはとても時間がかかります。構造化とは、コンピュータを使って大量の情報を調べ、各要素の間の関係性を明らかにし、利用可能にすることです。
知の構造化センターでは、自然言語処理、人工知能、Web工学の最先端技術を活用して、大量の情報を構造化することで、知の全体像を把握します。さらに、意外な分野間の関連を発見したり、たくさんの人が全体像を議論することによってイノベーションの創造につなげ、社会的、経済的、文化的価値を創出します。
このように自分にとって必要なんだけど、あやふやな捉えどころのなかったものを言語化できるようになったことは、おそらくブログを続けていなければ気づくことはなかったかもしれません。
今勉強している分野にとっても必要な考え方だと思うので、非常に運が良かったなと感じています。
一方でその運の良さを引き寄せられたのも、時間を見つけて文章を考えて、このようにブログを更新し続けてきたからというのもあるとは思いますが。
自分の考えや経験をなるべくわかりやすいように、具体例などを外から引っ張ってきたり、それらを自分の意図が伝わるように分類、整理、組み合わせたり結合したりしてきました。
それらのひとつひとつは単体でも意味はあるのですが、自分の意図するように分類、整理することによって、別の意味が見えてくることもあります。
例えば以下の過去記事でいえば、他の記事では「この技術はすごい」といった内容のことしか書かれていない場合が多いです。
ですが、「この技術によって『経済や個人の私生活においてどんな影響があるのか』」といった視点から整理、分類してみると、また違った側面を見ることができるようになります。
他にも以下のような記事を書きました。
自分が働く企業が変わっていく時の心情を書いたものですが、今までは財務面でしか企業を評価していませんでした。
しかし、その時の考えや行動を整理してみると、また違う側面を見られるようになりました。
このように、何らかの情報を整理、分類することによって「新たな価値」を発見できるのではないか、それが「構造化する力」ではないだろうかと感じています。





















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