外部の対象を時間軸で見られるようになるとその人の人生は幸せになるかもしれない

「なぜ今までこんな単純なことに気づかなかったんだろうか・・・」

 

世の中には「与えたものを受け取る」とか「因果応報」とか「鏡の法則」といった言葉があります。

 

自己啓発に関する本をいろいろと読んでいて共通するのは、自分が今までしてきたことが自分に返ってくる、というものです。

 

この点に関しては、今まで自分の人生をよく見つめなおす機会があり、このブログでも度々書いてきました。なぜそうなるのか、という具体的なメカニズムはわからないのですが、このことについてはある程度納得しています。

 

このことは自分の「心」に対しても同じことが言えるようなのです。

 

自分が「したこと」というのはなんとなく納得できます。それは目に見えるものであったり、具体的な行動であったりするのではっきりしていてわかりやすいからです。

 

でも「心も同様である」という言葉を見ても、当時はいまいち納得できませんでした。その意味としては、様々な自己啓発書には「自分の心の反映が周りの環境の表れである」といった意味として書かれています。

 

インターネット上には次のような言葉があります。

 

  • 心が変われば行動が変わる。
  • 行動が変われば習慣が変わる。
  • 習慣が変われば人格が変わる。
  • 人格が変われば運命が変わる。

 

多くの有名人がこの言葉を使っているのをよく見かけていました。少し話が反れますが、この言葉の出所はウィリアム・ジェームズという方のもののようです。

 

この言葉の最初と最後を繋げてしまうと「心が変われば、運命が変わる」というものになります。

 

「うん、確かにそうかもしれないけど、心が変わっても運命が変わるまでには途中にいくつかの工程があるから、運命が変わるまでには時間はかかるよね」と以前は思っていました。

 

要するに、自分は今までこの「心」というものを軽視していたのではないかと最近感じるようになってきたのです。

 

その理由や最近考えていることについて書いていってみます。

きっかけはちょっとした生活習慣の変化

今回の記事のタイトルは「外部の対象を時間軸で見られるようになるとその人の人生は幸せになるかもしれない」と書きましたが、こういったことを考えるようになったきっかけというのは、1つ前の勤務先で働いていた時期でのことです。

 

今までであれば昼はいつも外で食べていたのですが、その時の職場の周辺というのはそれ程飲食店があるわけでもなく、コンビニで弁当やパンを買って職場内の食事ができるスペースで食べなければいけませんでした。

 

要は今までとは違う生活習慣を余儀なくされたことで、今までは見えなかったものが見えるようになっていったんだと思います。

 

今までは違った出来事から始まって、他の習慣に連鎖してちょっとずつちょっとずつ積み重なっていき、そういったことの積み重ねによって物事を今まで見ていなかった視点で見れるようになっていきました。

 

それは具体的にどういったものかいうと、「外部の対象を時間軸で見られるようになっていった」ということです。

「外部の対象を時間軸で見る」ということ

今までであれば「自分を良くしていけば、それに比例して周りの環境も良くなって自分の人生も良くなっていくんだ」と思っていました。

 

でもその意識の焦点というのは、強く「自分」に向けられています。別の言い方をすれば「自分しか見ていない」とも言えます。

 

「外部の対象を時間軸で見る」とはモノにおいても人においても、その対象には「過去」もあれば「今」もあり「未来」もあります。

 

今までの自分であれば対象に対して「今」しか見ていませんでした。具体的な事例で表すと以下の過去記事で書いたようなことです。

人間というのは、誰しも「良いもの」を得たいと思うものです。ですがそれは知らず知らずのうちに「今」という時点に縛られたものしか見ていないのではないでしょうか。

 

多くの人は安全な大企業に就職したいと思うでしょう。でもそれは「今」の時点しか見ていないですよね。

 

そのような見方は「今」という時点で「より多くのものを求める視点」です。

 

この世界は「与えたものを受け取る」ようにできているのであれば、「見るものは見られる」とも言えるのではないしょうか。

 

つまり「今」の時点の相手しか評価しなかったら、「今」の時点の自分しか評価されないのではないか、ということです。

 

自分の人生をよーく振り返ってみると、なんとなく心当たりはあります。例えばこのブログでは以下のような過去記事も書いています。

今思えば、当時は自分を良くすれば人生が良くなると考えていたのと同時に、すぐに周りの環境に対しても良いものを求めすぎていた気がします。

 

おまえが長く深淵を覗くならば、深淵もまた等しくおまえを見返すのだ

「今」という時点で周りに良いものを求めれば、それだけ「今」という時点で良いものを差し出さなければいけません。

 

差し出せればいいですが、差し出せなければ受け取れないわけですから、その場か排除されてしまいます。

 

しかしここに「時間軸」を入れて物事を見てみたらどうなるでしょうか。

 

例えば「今は別に自分の求める水準に達していなくても、全然悪くても構わない、将来的に成長してくれたらそれでいい。仮に成長できなくても自分が面倒を見るから」みたいなイメージです。

 

「与えたものを受け取る」のであれば「見るものは見られる」はずです。であるならば、「今は良くなくても相手の将来を見てあげれば、今の自分が悪くても自分の将来を見てもらえる」とも言えるのではないでしょうか。

 

フリードリヒ・ニーチェの言葉には

  • 怪物と闘う者は、その過程で自らが怪物と化さぬよう心せよ。おまえが長く深淵を覗くならば、深淵もまた等しくおまえを見返すのだ。

というものがあります。

 

そのように見ればそのように見られる。悪く見れば自分も悪く見られるし、良く見ようとすれば自分も良く見られる、という風にも解釈できます。

 

この考えに辿り着いたときは、今までとはまた違った視点で世界を見られるようになりました。

若くて新しい企業に良い人が多かった理由

このブログでは以下の過去記事を書いています。

この過去記事では就職活動するなら、安全(と考えられている)大企業よりも財務構造が不安定で福利厚生もなく給料が安い若くて新しい企業の方が良いといったことを書きました。

 

その理由のひとつとしては、そこで働く人間の性格が良かったからです。それは若くて新しい企業の方が、若い世代が多く自分と価値観が似ているからという点ももちろんあったとは思います。

 

だけどそういった人たちに出会えた、そのような環境に巡り合えたのは、「今」の時点で相手を「評価していなかった」からではないかと感じています。

 

今までの経験から大企業というものにはうんざりしていましたし、自分としても経理としてそれなりの勉強や経験を蓄積してきていたので、次の就職先において「それほど選択肢には困らない」状況にはなっていました。

 

そういうこともあって、「今」という時点に縛られず相手を見られたから、こちらも「今」という時点で多くを求められず、良い関係を築けたのではないでしょうか。

まとめ

今までの自分であれば、「確かに今は駄目かもしれないけど、将来的には絶対良くなれる、そのための勉強もちゃんとしてきている、それなのになぜ評価してくれないのか、これ程悪く言われるのはひどすぎる」と思っていました。

 

でもよくよく考えてみれば、自分は自分の将来を見ていても、自分は「相手の将来を見ていなかった」んですね。

 

今の時点で相手にいろいろと求めてしまえば、自分も「今」という時点でより多くのものを求められてしまうということです。

 

「なぜ今までこんな単純なことに気づかなかったんだろうか・・・」と途方に暮れています。

 

今までの視点で、自分はどれほど損をしてきたか、相手をどれほど傷つけてしまっていたか、ということを考えると何とも言えません。しかし生きているうちにこの視点に気づけただけでも自分は幸せだなと感じています。

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