生涯現役という言葉が綺麗事ではなく、「生き方」を考えるうえで現実的な人生戦略となっていく

時間が進む速さというのは本当にあっという間だなぁと日々しみじみと思います。「光陰矢のごとし」という言葉があるように矢が飛んでいくスピードのように早いです。

 

10年前というと、自分がまだ大学生で新聞奨学生をしながら、社会というものに対して強い憤りを感じていたときです。

 

なぜ今回このような記事を書こうかと思ったかというと、自分の知り合いの方の次のような言葉がきっかけでした。

 

「60歳で定年を迎えれば年金で過ごせると思っていました。その後のことは特に何も考えていませんでした。」

 

ふむ、なるほど。今でもこのような方がいらっしゃるんだなぁと感じました。ですが、自分も10年ほど前は同じようなことを考えていました。ある程度の大学に入って、ある程度の会社に入って定年まで過ごせればその後は年金で暮らせるのだろう、と。

 

今回はこういった自分の考え方や意識の変化について書いていってみます。

誰かが何とかしてくれるだろうという「受動的」な意識から自分から何かしなければという「能動的」な意識へ

過去の意識としては、真面目に生きてさえいれば「政府が何とかしてくれる」「会社が何とかしてくれる」と思っていた時が自分にもありました。

 

自分が幸運だったのは、早いうちからいろいろと「裏切られた」ことだと感じています。

 

大学時代は学費も生活費も全て自分で賄わなければならなかったので、新聞奨学生をやらなければいけませんでした。

 

この時の自分の中では「自分は親にさえ裏切られるのか」と思いましたが、今の自分にとっては自立的な精神を育むうえでは良かったと感じています。

 

新卒で入った会社でも、ここでも早々に裏切られました。まぁ自分が勉強不足だったというのもありますが、外食産業ということで社員は使い捨てみたいな存在でした。

 

ほとんど体力勝負で、「続けられなければ出ていけ」という感じの会社で、自分はそこで一年持たず辞めざるをえなくなります。

 

新聞奨学生も外食産業もかなり体力が要求されて、今後もこういった仕事ではとても続けられないと思い、「経理」の道を志し新たに勉強を始めます。

 

そしてそこからなんとか経理の正社員として入った会社でも裏切られます。上司との人間関係が上手くいかないという話は人づてに聞いてはいましたが、まさかその理由で自分が辞めざる得ない時がくるとは、この時まで全く考えていませんでした。

 

というのも、当時の自分は未熟にも「人間関係程度で辞めるなんて我慢が足りないのではないか」と思っていたからです。

 

しかし現実は違いました。「そういった理由で辞める人がいるのも十分納得できる」と思えるようになります。机を蹴られたり叩かれたりして脅されるような毎日では、多くの人が精神的に苦しくなるでしょう。

 

そういった経験は、自分の中で真剣に「生き方」を考えるきっかけになりました。そういった経験がなかったら、会社に頼らなくても何かできるようになろうという考えは絶対に生まれなかったと言えます。

 

外部の社会の変化の方としても、年金の支給時期が60歳から65歳、さらに70歳とか75歳に今後は繰り上げられるのではないかという話もありますし、「生涯現役」という言葉がきれいごとではなく、現実のものとして考えなければならなくなっています。

「生き方」を学ぶ必要があるという考え方

聖書とコーヒー

ちきりんさんのツイートで気になった部分があったので今回はここで取り上げてみました。

「うん、そうだよね」と思いました。「生き方」って若いうちにでも学んでおく必要ってあると思います。

 

「生き方」って学校では全く教えてくれません。

 

「今現在の世の中はこうなっていて、将来はこうなっていくだろうと言われているから今のうちにこういうことをしましょう」といったことは教えてくれません。

 

教えてくれるのは基本的に国語や算数、理科、社会などの科目に対する知識だけです。

 

冒頭部分で「60歳で定年を迎えれば年金で過ごせると思っていました。その後のことは特に何も考えていませんでした。」と自分に話して下さった方は実は40歳前後の方です。

 

他にも同じような話を直接聞いた方の中には、50歳ぐらいの人もいましたし、60歳近い人もいました。

 

自分はその時「あぁ、そうなんだ・・・」と思いました。

 

現在までの日本の経済における社会というのは、例えば戦後は「高度経済成長期」というものがありました。

 

1955年から1973年まで、日本の実質経済成長率は年平均10%を超え、欧米の数倍にもなった時代です。

  • 1950年から1953年は朝鮮戦争による特需景気
  • 1955年から1957年は神武景気
  • 1958年から1961年は岩戸景気
  • 1965年から1970年はいざなぎ景気

と言われています。

 

さらに1986年から1990年頃はバブル経済などと呼ばれていました。

 

そういった恵まれた世の中が何十年も続けば、真面目に頑張りさえすれば会社や政府が何とかしてくれるだろうと考えるのも無理もありません。

 

おそらく自分も同じ立場だったら、「60歳で定年を迎えれば年金で過ごせると思っていました。その後のことは特に何も考えていませんでした」という風に同じように考えたでしょう。

 

何かに依存的な意識になるのも十分わかります。

 

しかし今は、高度経済成長期のような高い成長を続けられるような社会にはなっていません。現在は失業率も3%代と低く、経済成長率も2000年代以降は平均して0%から2%を推移していて特別悪くはないように見えます。

 

しかしサラリーマンの平均年収は順調に下がり続けており、実質賃金も低下し続けています。

 

全労働人口における非正規の比率も40%前後となっており、少なくともしばらくは戦後のような恵まれた成長は望めそうにはありません。

まとめ

人間というものは、何か大きな失敗があったらその原因を考えますが、成功した場合はその原因は考えないものです。それはまだいい方かもしれません。

 

失敗をしても成功をしてもその原因や対策を放置をしてしまう人がほとんどではないでしょうか。

 

以前は20代や30代の人間に生き方を考えるきっかけがありました。しかし今は40代から60代の人にまで「生き方を考えるきっかけ」が生まれているくらい、今の日本の社会が良くないというか、変化してきているということでしょう。

 

「なぜ今このような状況になっているのか」

「ではどうすればこのような状況から脱出できるようになるのか」

 

政府や会社に頼らずに、真剣に自分の頭で考えなければ生きていくのが難しい社会になっていくのは確実です。

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