2016年の振り返り、成功ではなく「成長」に焦点を当てる

2016年ももうすぐ最後の日となります。ちなみに2015年の最後の日である12月31日には以下のような過去記事書いています。

今回の記事は「172記事」目であり、今年1年で約100記事程書いてきた計算になります。今年は中小企業診断士の2次試験があり、その勉強でなかなか更新出来ない中、よく放り投げずにここまで継続できたなと思っています。

 

今回の記事では、自分なりの2016年の振り返りというか、感じたことを簡単に書いていってみます。

去年はどんなことを書いたか

冒頭の過去記事からの引用

ネタが多すぎてどういった構成で書けばいいかわからなかった

最初は、今まで考えてきたこと、伝えたいことなど、ネタが多すぎて何をどういった順番で、どういった構成で書くかに四苦八苦していました。今でもそうですが。

(中略)

ブログを書くようになって気づいたこと

ここまでブログを書き続けてきて気づいたことは、自分も含めて、「相手に対していかにわかりやすく書くか」「いかにわかりやすく伝えるか」という意識が今までなかったことです。

ブログの記事を書いていく上で、ネタの貯蔵はまだ十分すぎるほどあります。ここまで170記事程書いてきましたが、まだまだ書きたいことはあります。欲を言えば、「もっと時間があれば」と思っています。

 

ですが、他の方の記事を見たりすると、「いかに少ない時間で書くか」といったことや「いかに記事を量産するか」という記事も見受けられるので、なるほど、そうった方法もあるのかと考えさせられることがあります。

 

この点は今後の課題になりそうです。

 

「相手に対していかにわかりやすく書くか」「いかにわかりやすく伝えるか」という点については、自分なりの型はできてきたような感じがします。

 

まず最初に、その記事で伝えたいことを書き、その後で自分の伝えたいことの具体例を挙げていき、最後にまとめるといった感じです。

 

ただ、自分の感覚としては少し「横着」になってきているかなぁと感じています。なるべく丁寧に書こうとは意識しているのですが、日々の忙しさとか将来への不安が入り混じった気持ちから、何となく心が安定していない気がします。

 

相手に対してわかりやすく伝えるという「意識」はできるようになったかもしれませんが、それがまだよく実践できていない感じがするので、この点も今後の課題となりそうです。

 

ブログを継続して更新している人は段々減ってきている。

これは誰しも感じていることかもしれません。自分はこのブログを始めて1年と9ヶ月ぐらいですが、ここまで自分が他の方のブログに読者登録してきた中で今でも記事を継続して更新している方は半分ぐらいになってしまいました。

 

反対に自分のブログに読者登録している方で、今でも記事を更新している方も半分ぐらいです。

 

継続するというのがいかに難しいかがわかります。かくいう自分も、今後もこのブログで何らかの理由から記事を更新できなくなっていくかもしれません。

 

それはモチベーションが保てなくなったり、記事を書く意味を見出せなくなったり、仕事が忙しすぎて記事の更新に手が回らなくなったり、理由は考え始めればきりがありませんが。

 

とにかく、今後も継続して更新していくつもりです。

 

中小企業診断士試験に落ちてからの意識の変化━成功ではなく「成長」に焦点を当てる

約2年半程前から、自分は本格的に中小企業診断士の勉強を始めて、今年の10月に2回目の2次試験を受けて、以下の過去記事のように残念な結果となりました。

今月の12月9日に2次試験の結果が発表されてから、今日まで約3週間程経ちます。

 

その中で自分なりに考えたことは、「資格に依存していたかもしれない」と考えるようになりました。極端なことを言えば「その資格さえとれば将来は安泰だ」みたいな感覚です。

 

冷静に考えればそんなことは有り得ません。高難易度の資格保持者でさえ、その生活を維持するためには人の見えない所で日々切磋琢磨しているはずです。

 

自分としてはこの10年間はそれなりに勉強してきたと思っています。この世界の過去の歴史から将来がどうなっていきそうなのか、その中で個人はどうすればよりよく生きていけるのか。

 

今後どういった知識が必要か、どうすれば今の負のスパイラルから抜け出せるのか。どういった勉強法が効果的なのか、人間の脳の性質とはどういったものか、人間の脳の性質をどう生かせば効果的に勉強できるのか、

 

などなど、とにかく自分がよりよくなれそうであれば本を買って読んで、実践するようにはしていました。

 

今までであれば、極端な言い方をすれば「大企業に正社員として入れれば将来は安泰」みたいな考えが自分の頭の片隅にはありました。いろいろな経験や知識からそういった考えが、「実はそうではないのではないか」という方向に向かっていきます。

 

少し前まではある意味企業というものに「依存」してました。自分が努力せずともある程度の規模の企業に入れれば、それほど将来に心配しなくてもいいのではないか、と。

 

ですが、今回の試験が終わってから気づいたのですが、資格というものに「依存」していた気がします。「このレベルの資格を取ればそれほど将来に心配しなくてもいいのではないか」と。

 

今だから冷静に考えられるのですが、企業に対しても資格に対しても「同じ精神レベル」だった気がします。何かを得られれば、何もしなくて良い、という考えではなく常に自分をよりよくする意識が重要なのではないか、と思っています。

 

というのも田坂広志さんの『未来を拓く君たちへ―なぜ、我々は「志」を抱いて生きるのか』には次のように書かれています。

p.48

そして、その誰もが、その人なりに、精一杯に人生を歩んできたのではないか。だから君に伝えておきたい。

 

人生において「成功」は約束されていない。

 

人生において、描いた「夢」が破れ、抱いた「願い」が実現しないことは、いくらでもある。

 

しかし、誤解をしないでもらいたい。決して誤解をしないでもらいたい。

 

そのことをもって、「夢」を描き、「願い」を抱いて歩むことを否定しているのではない。そのことの意味を否定しているのではない。

 

決してそうではない。

 

我々は、やはり、大きな「夢」を描き、深い「願い」を抱いて歩まなければならない。その「夢」の実現を求め、「願い」の実現を求め、「成功」を求めて歩まなければならない。

 

それは、なぜか。

 

「成長」できるからだ。

 

「夢」の実現に向けて思いを込めて歩むとき、「願い」の実現に向けて力を尽くして歩むとき、「成功」に向けて全身全霊での努力を続けるとき、我々は、一人の人間として、大きく「成長」できる。我々は、人間として、素晴らしい「成長」を遂げることができる。

 

だから君に伝えておきたい。

 

人生において、「成功」は約束されていない。

 

しかし、人生において、「成長」は約束されている

 

この言葉を知っていたから、というわけではありませんが、診断士の試験の結果が残念な結果となって心が折れなかったのも、重要なのは成功ではなく「成長」の方に意識が残っていたからかもしれません。

 

そういった意味では「資格に依存していた」という点に気づけただけでも、自分は今年は成長できたと言えるのではないかなと思います。

この「知識の倉庫の整理」ブログを更新している意味

時代は情報社会から「知識社会」へ、産業は資本集約産業、労働集約産業から知識集約産業へ移行していっています。

 

そういったマクロな視点からと、そのような時代の移行の中で個人はどうしていくべきかというミクロな視点から、自分の実体験をもって、

 

このブログを訪れる人に少しでも何らかの利益になるような情報を提供していく支援していくという形を、実は「知識の倉庫の整理」ブログはとっています。

 

その前に自分の生活を安定させなければ、将来にある程度の目処を立てなければ読者の方々になかなか説得力を持って説明できないのですが、じゃあその準備ができたらやると言っても、いつその準備ができるのかはわかりません。

 

もしかしたら一生できないかもしれません。「このブログを更新しながら次の時代の生き方を模索していく」という方向をとっています。

 

もしかしたら今後の生きる方向性を見出せず、ブログの更新が途絶えてしまうかもしれません。闇の中手探りで進んでいくような形になるでしょうが、できる限りこのブログを更新していきます。

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