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我慢の行き着く先にはおそらく80年間の我慢という牢獄生活しかない

「我慢」という言葉について深く考えさせられた時期がありました。それ

は自分が大学時代の新聞奨学生をしていたときのことです。

世の中では一般的に、「何事も我慢が大事だ」とか、徳川家康の「鳴かぬ

なら、鳴くまで待とうホトトギス」といった言葉に代表されるように、我

慢が非常に礼賛されたり評価されたりします。

しかしいつまで我慢すればいいのでしょうか?

以前からこのことについて考えていたことがあったので書いていってみま

す。

いつまで我慢すればいいのか?

自分は大学生の時に新聞奨学生として、新聞配達をしながら新聞社から奨

学金をいただき大学に通っていました。ですから自分は、周りの大学生と

比べても、あまり恵まれた方ではありませんでした。

小さい頃から父に、よく「我慢しろ」と言われてきましたし、世間一般で

もそれが普通であるかのような感じだったので、特にそのことに疑問視す

ることもなく育ってきました。

自分も「我慢していればいつか報われる」と考えていました。大学生の途

中までは。この時までは、自分はあまり本を読むような人間ではなく、そ

ういった考え方や行動が自分の人生において何をもたらすのか、というこ

とについて深くは考えていなかったのです。

というか、自分の身の回りに起きる出来事は、自分の考え方や行動とは関

係なくランダムに、無秩序に起きるものだと思っていたわけです。

しかし、我慢することが美徳といった考え方は、ますますそういった環境

にシフトさせられていきます。

当時は、まさに自分がそういう環境に進んでいるという状況でした。10代

の頃は特に良かったと言えることもなく、我慢を強いられる時が多かった

です。

大学時代も家庭の経済状況が芳しくないということから、新聞奨学生をや

らざるを得ませんでしたが、周りの遊んでいる大学生を見ながらの仕事は

精神的にきつかったですね。

こういったことを書くと「日本学生支援機構から奨学金を借りれば良いじ

ゃないか」ということを考える方も多いかもしれません。

確かに、当時の生活苦から逃れたいということと、就職活動の時間を確保

したいという思いから大学3年生の時に父にこの制度を利用したい旨を伝え

ました。しかし返ってきた答えは、

「あれは借金なんだぞ。借りたらいつかは返さないといけないんだ」

確かにそうです。インターネット上で日本学生支援機構から奨学金を借り

た大学生が、社会人になってから返済に困る事例が近年多発しているとい

うニュースを見かけるようになりました。

年々奨学金を借りる大学生の数は増加していて、現在は約半数の大学生が

奨学金を借りているそうです。

話は戻りますが、父からの言葉は要は「我慢しろ」ということです。この

時の絶望感といったらなかったです。周りの大学生は親からの仕送りで青

春を謳歌しているのに、自分はその横で仕事をしなければいけない。

世の中はこうも不条理なのかと、世の中というものに対して恨んだ時もあ

りました。

しかし当時はわからなかったのですが、社会人になってから勘違いをして

いたということに気づくようになります。

ただ我慢するだけではなく、上の階層に行くために努力するという意識と行動が必要

先に結論を言ってしまうと自分の勘違いというのは、今までは自分の状況

を積極的に変えようという意識や行動、勉強などをせずに、本当に文字通

り、ただ我慢をすれば報われると思っていた点です。

何か辛いことや痛いことがあっても、受動的に、ただやり過ごせば何か良

い思いができると考えていた点に問題がありました。

そうではなく、何か自分のなりたいものや欲しいものがあったら、能動的

にそこへ到達できるように、勉強や行動をしていかないといけない、と気

づいたのは大学を卒業してからでした。

というのも大学の後半になってから、記事名にある通り「我慢の行き着く

先にはおそらく我慢しかない」のでは?と考えるようになったからです。

我慢するのは重要だが、じゃあいつまで我慢すれば良いのか?10年、20年

?いや、もしかしたら平均寿命の80歳までの60年間も我慢しなければいけ

ないのだろうか?

今まででさえ10年近く我慢してきたのに、これからの60年間も我慢をしな

ければいけないのか・・・。

こういったことを考えるようになってから段々恐怖するようになっていき

ました。「それって生きていると言えるのか?」ということにです。

例えば、人間の平均寿命は約80歳と言われています。仮に生まれてから80

歳までどこかの牢屋で暮らしたとしましょう。食事は看守が一日3食用意

してくれます。

とりあえず食べていくことに問題はないとします。衣・食・住は最低限あ

るとします。ですが、80年間その牢屋から出られないとします。本当にた

だ生きているためだけにその中で牢獄生活を送らなければいけない、ただ

生き続けなければならないとしたらどうでしょうか?

自分は学生時代こんなことを考えたこともありましたが、「それって生き

ているとは言えないのではないか?生きたまま死んでいるのではないか?

」と思いました。

他の人はどう思うのでしょうか?自分だったら嫌だと感じます。外に出た

いと思います。人として生まれたからには、やはり人間らしく生きていき

たいと思うものです。

しかし、あるときふとこう思ったりする時もあります。その牢屋っていう

のは、もしかしたら自分でつくってしまったのではないかな、と。

最後に自分が今まで印象に残った言葉を引用してみます。

牢屋の住人

とある罪で、牢屋に入れられた男がいました。

彼は、自分の犯した罪を後悔していました。

毎日、毎日、彼は小さな窓から外を眺めていました。

窓の外には、花が揺れ、風が吹き、笑顔で暮らしている人たちが見えます。

男は、空を見上げていました。

数日後。

牢屋に、新しく罪人が入ってきました。

男も、自分の犯した罪を後悔しているようでした。

2人の男は、自分の罪の事、家族の事、自分の事を話しました。

その日の夜。

小さな窓から2人の男は顔を覗かせていました。

実は、二人とも犯した罪も同じ、家族構成も同じ、年齢も同じ、牢屋に入

る年数も同じでした。

しかし、2人には大きな違いがありました。

窓から顔を出した二人は、一人は笑顔で月を眺め、もう一人は下を向き、

涙でできた水たまりに移る月を見ていたということです。