20代で5社目の会社に2週間働いて気づいたこと(前編)

今月1月のはじめから、新たな会社で派遣社員として働くことになりました。今の会社で4回働く会社が変わり、5社目の会社となります。しかも20代でです。

 

社会的に見たら間違いなく底辺と見られるでしょう。だからといって、今まで決していい加減な気持ちで働いていたわけではありません。

 

このブログでは何回か触れましたが、いろいろな事情があり、そうせざるを得ませんでした。

 

今の会社で5社目ですが、これまでのその時々の意識や考え、何が変わったのか、何を変えたのか、これまで4回働く場所が変わったことで何がわかったのか、というのを、会社ごとに自分が変ってきた変化を今回書いていってみたいと思います。

 

ちなみに先に結論を書いてしまうと「お金」や「地位」よりも「おもしろさ」とか「やりがい」を求めるというのは、きれいごとではなく、真実だな、と感じています。

1社目 外食産業の会社

1社目は新卒で入った外食産業の会社でした。自分はIT業界の企業で働きたいと思っていたのですが、新聞奨学生ということで、あまり就職活動に費やせる時間もなく、当時の景気も思わしくなかったので、結果は惨憺たるものでした。

 

「100社応募しても内定が取れない人もいる」ということを耳にしたりしましたが、全然冗談でなく自分もそれは実感していました。

 

この時の意識としては「助かりたい」とか「企業に入れさえすればなんとかなるだろう」という、今だからこそわかるのですが、当時の自分と言うのは「嫌な奴」だったと思います。その時の詳細は以下の過去記事に書きました。

その時の意識の根底に「安全」というものを求めていたと思います。今は若年層が高齢者層に対してあまり良いイメージをもっていませんが、今にして思うと、「あぁ、そうだよなぁ・・・」と思うのです。

 

というのも、高齢者であれば、老い先はそれほど長くありません。何らかのリスクをとるよりかは安全を選んで余生を過ごそうとするでしょう。それはもしかしたら弱者を踏み台にしてでも選択した安全かもしれませんが。

 

実際に40代の人など年上の高齢者の方たちとも一緒に働いてみて感じたのはやはりイメージ通りあまり良いものではありませんでした。

 

しかし少し視点を変えてみると、まさに自分がそのような人間になっていたのです。当時の自分は体力的、精神的に追い詰められていた部分があったので、「安全」を志向するマインドになっていたのですが、まさにそういう思考の人たちがいる所で働くことになったわけです。

 

その店舗の売上や出世のためなら店長は平気で周りの人間を犠牲にする。自分も会社の利益よりも自分がどう楽するかという邪なことばかり考えていました。

 

両者には「安全」を求める思考が根底にあったので、まさに両者の利害は一致し、ある意味「奪い合う」関係になってしまっていたと思います。

 

自分は何らかの利益を提供しようとする考え方ではなく、ある意味会社から「奪う」という思考になっていました。

 

その人の思考が同種のものを引き寄せる、という言葉がありますが、今思うとまさにそうなっていたなと思います。

2社目 卸売業での経理

2社目は卸売業の会社で経理として働くことができました。1社目の会社は体力的にもたなかったのですが、売上の集計などの数値を把握するようになってから経理という仕事に興味を持つようになりました。

 

2社目までも紆余曲折あったのですが、運よく正社員として内定をいただけました。この時の意識はまだ「安全」を求める意識が残っている状態でした。

なぜその時の「意識」や「考え方」を書くのか

人間の意識や考え

ここで少し脱線しますが、なぜ各企業ごとにその時の「意識」や「考え方」を書いているかというと、その時の意識、もしくはその時までの行動が、その時々の企業のいろあいに反映されているのではないか、という確信とまではいきませんが、かなりそれに近い感覚をもつようになったからです。

 

そもそもなぜそのような考え方に至ったかというと、今までの自分の人生があまりにも不幸だと感じていたからです。自分でも不思議なくらい悉く何らかのことで足を引っ張られるというか、どんなに努力しても上手くいかなかったからです。

 

『原因と結果の法則』という本など自己啓発系の本は、もう何冊も読みました。今でも苦しい時に読み返したりするときがあります。例えば以下のような文章があります。

p.26

私たちは、自分が望んでいるものではなく、自分と同種のものを引き寄せます。

 

p.34

良い思いや行いはけっして悪い結果を発生させませんし、悪い思いや行いはけっして良い結果を発生させません。

(中略)

苦悩はつねに何らかの方面の誤った思いの結果です。苦悩は、それを体験している個人が、自分を存在させている法則との調和に失敗していることの、明確なサインです。

『「原因」と「結果」の法則』から引用

 

1社目を辞めた後に経理として働けるように、新聞配達のアルバイトをしながら簿記の勉強をするようになりました。

 

大学時代4年間やっていたので、仕事はすぐ覚えられました。新聞配達というのは覚えてしまえば、体が勝手に動いてくれて、バイクを運転しながらでもいろいろ考えを巡らすことができます。

 

自分は、深夜にバイクを走らせながら何時間も、何日も「なぜ、自分はこの状態から抜け出すことができないのか?」「なぜ、自分の今までの人生はこれほどまで不幸なことばかりだったのか?」といったことをずーっと考えていました。本当に途方にくれるくらい考えていました。

 

深夜、周りに人気はなく、この世界に自分が一人しかいないんじゃないかと思うような静かで、寂しく、不安になるような環境でしたが、逆にそのような環境の方が思考を巡らすには良かったのかもしれません。

 

新聞配達をしながら考え事をしていると、思考の中であるポイントに到達します。「もしかして本当にその時々の思考がその時々の出来事に反映されるのではないか」と。

 

今まで本に書いてあるような内容は半信半疑でした。しかし過去を振り返ってみると、「もしかしたら、確かにそれは正しいのかもしれない」という思いに近づいていきます。

 

その中で、よーく考えてみました。自分の今までの人生で、その時その時に何を考えていたのかを。

 

多くの人は「何が起こったか」までは考えるかもしれませんが、その時々に巡らしていた「意識」や「考え」までは考えないと思います。

 

自分もその時になるまで、そこまで真剣に昔の「意識」や「何を考えていたか」という、目に見えない、記録に残らない部分について思い出そうとしたことがなかったので、なんとも至難の業でした。

 

しかし、考え事をするには十分すぎる時間と環境がありました。少しずつではありますが、昔の自分の意識と出来事が紐づいていきます。

 

あまり認めたくはないのですが、そのときの意識とそれによって何が反映されるのかというは、関連があると感じています。

 

例えばなのですが、ある運動部に所属しようとするときに、「そのスポーツが好きだから」という「中身」や「おもしろさ」に焦点を合わせてやるのか、それとも「そのスポーツを通した『全国大会』に出たい」という「地位」に焦点を合わせるかで、経験することが変わってくるでしょう。

 

自分の感覚なのですが、「中身」や「おもしろさ」に焦点を合わせると、それは良い環境を引き寄せると思います。しかし、「地位」とか表面上のかっこよさなどに焦点を合わせると、あまり良くない環境を引き寄せると感じています。

 

以上のことから、自分はある事に取り組むときに行動や結果もそうですが、「意識」という部分にも注意をするようになっていくようになりました。

 

この記事の続きは次回に書いていきます。

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