結論を先に述べますが、今回の記事のタイトルにある『体育会系の人間の地位や年功序列を維持していたもの』は何か。
それは「下の人間の『数』」ではないか
と最近の考え事で思うようになりました。
「体育会系」や「年功序列」という言葉からどんなイメージが浮かぶでしょうか.
- 「軍隊みたいな感じ」
- 「縦社会」
- 「年上の人には絶対服従」
- 「恐怖で縛る」
などなど人によっていろんなイメージを持っているでしょう。社会的にもなぜかそういった人たちは高く評価されています。
しかし今後日本は人口減社会になっていくと言われています。そのような環境の中で彼らはどうなっていくのか、ということについて自分の経験と考えを今回の記事で書いていってみます。
現在と今後の日本の人口動態について
最近以下のような記事を見かけました。
厚生労働省は22日、平成28年の人口動態統計の年間推計を発表した。出生数は前年に比べ2万5千人減の98万1千人となり、過去最少となった。年間の出生数が100万人を割るのは初めて。
死亡数は前年比6千人増の129万6千人で戦後最多。死亡数から出生数を差し引いた人口の自然減は過去最多の31万5千人で、10年連続で増加した。
以前から日本の人口が減少していくことについて、様々な報道がされていました。しかし、今回はいよいよここまできたか、という衝撃を受けました。
ちなみに現在の団塊世代の各年齢ごとの人口が約200万人程で、40歳前後の方の年齢ごとの人口は約200万人程です。
現在は最も人口が多い年齢の約半分の出生数になってしまっているということです。さらに今までの動向から今後もこの傾向は続くと予想されています。
人を増やせないと、サービス業の企業は規模を拡大できない
最近はとあるサービス業の企業で働いているのですが、そこでいくつか気づくことがありました。
昨今は、日本が人口の減少期に入って、様々な問題点が指摘されています。ニュースでも飲食や小売、介護などのサービス業は「人が集まらない」とか「人手不足」といった言葉をよく目にするようになりました。
自分が今勤務している所はここ数年売上高が停滞しており、人手不足に悩んでいました。良い商品ではないから売上が伸びないのであれば、人手不足ではなく、商品開発などで悩むはずです。
良い商品で売れるんだけど、人がいないから店舗も増やせず売上が伸ばせないということでしょう。
そこで気づいたのですが、「人がいないとサービス業は拡大できない」ということです。もちろん人がいなくてもやりようはあります。例えば、現場の店舗をより機械化、IT化して人が少なくてもまわるようにするといった方法はあります。
ですが、自分が新卒で入った会社の時でも人手不足で悩んでいたのに、さらに時間が経ち、以前に比べれば今のサービス業の企業はさらに人手不足に悩んでいると思われます。
根性論とか前時代的な価値観ではもう今のような問題を解決することは難しいでしょう。いかに少ない人数で店舗をまわすか、ではなく「いかに人がいなくても店舗をまわすか」という点を考えなければいけなくなっていくでしょう。
広告費をたくさん出さないから、中小企業だから人が集まらないのではなく、そもそも「いない」し、今後も「いない」のです。
どんなに良いサービス良い商品があっても、それをより多くの人に届けるために「多くの人間を必要としている」のでは、今後の生き残りを考える上で問題です。
というのも、人間の体や体力、我々がこの世界に生きる「1日の時間」には上限があるからです。「労働集約産業」の問題点のひとつですね。
規模が拡大できない、むしろ全体が縮小していく、もっと言えば下の人間の数が減っていくということは、上の立場にいた人間の地位を維持するのは難しくなっていくのではないでしょうか。
そもそも「いない」のであれば、「自分で動く」しかない。
今まであれば、上の立場にいた人間は下の人間を恐怖で縛って、口だけ動かしていれば下の人間が動いてくれました。しかし、そもそも下の人間が「いない」のであれば、「自分で動く」しかありません。
昨今よく使われる「一億総活躍社会」とか「死ぬまで働く必要が出てきた」といった言葉はそのためです。
となってくると「個人」というものが問われてくるわけです。
これまでの「企業」という仕組みは、拡大、成長できなければ役職のポストが空きませんし、そうなると下の人間は出世できません。
今までは企業の成長に応じて、「部長」とか「課長」というポストによる幻想をつくりあげて、下の人間を競争させることにより、上の人たちの地位が維持されていた側面がありました。
ですが、企業が成長しない、役職が生まれない、頑張っても出世できないとなれば、その組織には閉塞感が生まれ、優秀な人から辞めていく、という循環ができてしまいます。
そもそも根本的に入ってくる人間が少なくなる、もしくは「いない」となれば、年功序列も地位も意味がなくなります。
逆の視点から見れば体育会系の人間や目上の人の地位を高めていたのは、その人達の能力という点もあるとは思うのですが、根本的には「下の人間の『数』」だったのではないでしょうか。
上の人間を支える下の人間が少なくなっていけば、支えられていた人間は「自分の足」で立たなければならなくなるでしょう。最近よく言われていますが、「個人」の時代になっていくということです。
人を使えない分、いかに機械やITを使いこなせるか。ということは、いかに機械やITについて知っているか、いかにITやロボットとコミュニケーションがとれるか、といったことが重要になってくると思われます。
日本における人口減社会を企業が生き抜くためには、今までの価値観や組織文化を変えて、IT化や機械化による高い生産性を実現することは避けられないでしょう。
個人的な考え
「あぁ、あともう少しかな・・・」
今まで体育会系の人間に対して、自分はあまり良いイメージは持っていませんでした。自分としてもいろいろ経験してきましたし、インターネット上でもあまり良い評価はされていないようです。
しかし、その人たちの地位も今後崩れていくであろうということが予想できればまた違った視点で見ることが出来ます。
「今まで下の人間をこき使ってきた分、彼らはつらい思いをするのだろうな・・」
世の中には因果応報とか、与えたものを受け取るといった言葉があります。勉強や努力を怠ってきた人は、それ相応の経験をする必要があり、今まで下の人間にしてきたことを今後は彼らが経験をすることになるのでしょう。
もう少し具体的な例を挙げれば「年金」と「選挙」ですね。政治家も票が欲しいからと、高齢者も自分達を有利にして欲しいからと、上の世代に有利な政策を続けていれば、その恩恵にあずかれない下の人間は貧しくなってきます。
年金の原資たる税金を若者が支払えなくなるようにしていれば、そのしわ寄せは上の世代にきます。
そうなると上の世代を支える人間が減り、上の世代のもらえる年金は減少していき、結局は自分でまいた種を自分で摘み取ることになる、と。世の中というのは良くできているなと感じます。
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