我々が生きるこの世界には「序列」というものがあります。例えば多くの人が働く「会社」という場所には、「社長」とか「部長」「課長」といった序列があります。
スポーツの世界にも「1位・2位・3位」とかあります。年齢の高い低いで「先輩」とか「後輩」といった関係もあります。
相撲の世界の序列は「番付」と言われますし、一番上になるのが「横綱」で、その下が「大関」「関脇」「小結」「前頭」となっていきます。野球の世界でも「一軍」とか「二軍」といった言葉もあります。
私達の生きる世界には、気づかない所に多くの「序列」が存在します。会社で働く人たちにとっては、この序列とかそういった中での環境とかいろいろ思う所がある人が多いのではないでしょうか。
そもそもなぜ私達の生きる世界には、「序列」というものが存在するのでしょうか。今回はこのことについて考えたことを書いていって見ます。
考えるきっかけは『銃・病原菌・鉄』と家畜というものについて
序列というものに疑問を抱くきっかけは『銃・病原菌・鉄』の「家畜」の部分についてでした。
『銃・病原菌・鉄』という本があるのですが、実際にこの本を読んだわけではありません。インターネット上でいろいろと調べ物をしていた所、偶然今回のような情報を見つけた結果、考えるきっかけとなりました。
具体的にいうと、世界に存在する様々な動物の中で人間が家畜化できる動物の条件がいくつかあるのですが、『銃・病原菌・鉄』にはその中でも以下のような条件が存在すると書かれています。
序列性のある集団を形成する
、繁殖期にもなわばりを形成しないというのが重要です。ただ集団を形成するのではなく、序列性というのがポイントです。なぜなら、その群の一番上に人間が入ることによって、そのまま群を人間の思うとおりに維持することができるからです。
群をつくる生き物でも序列性を持たない物は家畜化できませんでした。今家畜化されている動物以外ほとんど、シカ、レイヨウなどは、序列性の群れをつくりません。
最初この情報を知ったときは驚きました。「家畜に序列が存在する」ということにです。
世界を見渡してみると、実に様々な動物が存在するのがわかります。私達の身近な例で言えば、猫とか犬とかがいますが、それ以外にも何千何万という動物がこの世界に生息しています。
そういった動物達の中で人間が家畜化できた動物というのは非常に少なく十数種類だけのようなのです。例えば豚とか牛、羊、馬といった動物が代表的です。
どうやら家畜化できる動物というのは、その一定のグループの中で「序列」をつくれるかどうかがポイントのようです。動物の世界で「序列」なんて言葉が使われると「犬」がイメージできるのではないでしょうか。
犬は尻尾を振って人間に擦り寄ってきて非常にかわいい動物ですね。
「家畜」で「序列」という言葉から、あまり良くないイメージを持たれた人もいるかもしれません。
昨今の私達人間の労働環境の悪化から、会社で働く人たちに対して「社畜」といった言葉も使われたりします。具体的にいうと以下のような意味になるようです。
社畜(しゃちく)とは、主に日本で、社員として勤めている会社に飼い慣らされてしまい自分の意思と良心を放棄し奴隷(家畜)と化したサラリーマン、OLの状態を揶揄したものである。
「会社+家畜」から来た造かつ俗語で、「会社人間」や「企業戦士」などよりも外部から馬鹿にされる意味合いを持つ。
恐ろしいですよね。人間を「家畜」と同一視しているのです。
序列制の強い世界で生きてきた「体育会系」の人間は実は「家畜」と見られているのではないか

実は以前から自分の中でなんとなく、「人間という生き物は上の人たちにとっては家畜として利用されているのではないか」という考えを抱いた経験があります。
ですが、そういった考えは自分にとって非常に恐ろしいことだったのでなるべく考えないようにはしていました。
「序列」なんて言葉が出てくると、「体育会系」という言葉もイメージされる人もいるかと思います。就職活動でもこの「体育会系」の人間が非常に有利になっていて、以前からこのことについては疑問に思っていました。
ある程度社会人として年齢を重ねた人なら薄々気づいている人もいるかもしれません。なぜ体育会系の人たちが有利なのかを。
要は上の人たちにとっては、そういった序列制の強い世界で生きてきた「体育会系」の人間は「家畜化しやすい」からではないでしょうか。
実際にこういった考え方が正しいかどうかはわかりません。ただ生物学といった視点から見るとこういった見方もでできるのではないか、ということです。
確かに「体育会系」という人種は「会社」という世界で生きるには適しているかもしれません。しかし昨今の日本や世界の経済事情から会社というものの「寿命」が短くなってきていると言われています。
以前はひとつの会社の寿命は「30年」と言われていました。しかし技術の発展や競争が以前より激しくなってきて、その会社の寿命というものも段々と短くなってきているようです。
そういった環境の変化の中で、会社という世界には依存するのは危険だとも言われ始めています。
そもそもなぜ「序列」というものができるのか
私達の生きるこの世界には「序列」というものが存在します。それは人間以外の動物の世界にもあるようです。
序列というものが我々人間の世界も存在するわけですが、そもそもなぜ「序列」といったものがあるのでしょうか。上の人間にとっては良いかもしれませんが、下の人間にとってはあまり良いものではありません。
というのも常に理不尽な対応に迫られるからです。
生物というものがなぜ序列というものをつくったのか。自分がインターネット上で調べた範囲では、どうやらその目的は「種の保存」があるようです。次の記事が参考になるかと思います。
この順位制は鳥だけではなくサルなどの動物の世界にもある。なぜそういうことが生ずるのであろうか。結論からいうと、その種を維持するためである。
それぞれの種の社会の中に一定の序列をつくり、安定した秩序を保つことが、外部からの攻撃に対して最も安全なのである。
つまり軍隊組織のようなものである。動物の社会では、それを生まれながらにして知っていたということができる。
「生物の序列」ということに関して、本などを読んでしっかり調べたわけではありません。しかし、引用した記事のように「種の維持」とか「秩序の安定」とあると、言われてみるとそうだなと思えます。
みんながみんな自分勝手なことばかりしていては、日々の生活にも不都合が出てくるでしょう。「序列」というものが本当に必要かどうかはわかりませんが、なんらかの「一定のルール」は必要かと思います。
そしてもう一点印象に残ったのが次のサイトの以下のような言葉です。
- 媚びない、美しい、きまぐれ…には理由がある
犬のこの従順さは、悪い意味にもよく使われます。権力や職場の上司などの言いなりになって極端に媚びる人が、「○○のイヌ」などと陰口をたたかれるわけですが、これも犬にとっては迷惑なたとえです。
犬は主従の関係を作ることによって、組織全体で生き延びようしているだけで、出世のために、心の中でバカにしながら媚びている人間とは違うのです。
序列ができるのは、その組織やグループの種の保存のために必要なのと同じように、そこで生存しようとする個体にとっても序列というものが必要ということですよね。
じゃあその「組織やグループ」というものが「なくなったら」どうするのでしょうか。
「なぜ生物には序列ができるのか」と同時に「じゃあ序列で生きてきた生物はその組織がなくなったらどうするのか」という点は、非常に疑問に思いました。
組織の中で生き延びるために序列に適するようにしてきたのに、その組織自体がなくなってしまえば、それまでの序列も意味がなくなってしまいます。
個人が組織で生き延びようとするように、組織も他の組織と競争して生き延びようとしているわけです。
生き延びようとする以上は、生き延びられないものと生き延びられるものが出てきます。それを決めていくのは「環境の変化」です。
「環境」というものが、ある意味我々にとって最上位の存在であり、環境を元に序列がつくられているとも言えるかもしれません。
今後私達がこの世界を生きていくうえで重要な考え方であり、昨今の我々の環境にもこの課題は当てはまることだと思っています。
この部分は自分にとって今後のおもしろい研究テーマだなと思っています。
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