RPAツールが一般化されればプログラミング言語の知識は不要になるのか

先日興味深かったのでツイートしたのが以下の記事です。

記事の3ページ目に出てきた「RPA」という言葉が自分の中で特に印象に残りました。このRPAというものは記事において以下のように書かれています。

 

RPAとはRobotic Process Automationの略で、AIを活用した業務の自動化を指す。AIがオフィスワーカーの仕事を支援したり、補助したりするのではなく、「仮想労働者」として自ら仕事する点が、従来のIT化とは根本的に異なっている。

 

 書類の作成を例にとれば、紙の資料類の読み取りやWebサイトの検索などによるデータ収集、その中から必要な情報を抽出すること、さらにはキーボードやマウスを操作してのデータ入力――といった業務の全てが、人の手を介さずに行われるようになる。

 

インターネットで「RPA」という言葉でいろいろと他にも調べてみましたが、どうやらエクセルのマクロのような機能を実現できるようです。

 

大きく異なる点はマクロやVBAはマイクロソフトのエクセルに依存しますが、このRPAはそういった特定のソフトウェアに依存せずに複数の異なるシステム上でも動作させることができるとのこと。

 

「ほう、それはすごい!」と感心しました。じゃあ将来的には例えば経理の中の業務だったらちょっとした作業だけでエクセルでの動作や勘定奉行での動作を連動させて記録させることもできるかもしれません。

 

インターネット上でRPAに関するいくつかの記事を読んでみると、複雑なプログラミング言語の知識や仕組みを知らなくてもGUIで直感的に業務を自動化できるとのこと。

 

しかし、ここで疑問が浮かびます。

 

「確かに複数の異なるシステムで業務を自動化できるかもしれないが、今後は全くエクセル、勘定奉行の動作やプログラミング言語の仕組みや知識を知らなくても良くなるのか」と。

 

このRPAというツールが多くの人に使われて一般化されるぐらいになれば、それは企業や国全体として大きな生産性向上に繋がるでしょう。昨今の日本の人口減少による人手不足という現象を鑑みれば大きな助けとなるはずです。

 

じゃあ今後はますますシステムが助けてくれるようになるから、勉強は今まで以上にしなくて良くなるのかというと、たぶん逆の現象が起こってくるんじゃないでしょうか。

 

今回はこの件で思ったことを書いていってみます。

馬車が自動車に置き換わったケース

これはビジネスとか経営についての本を読んでいると良く出される事例なのが、私たちの歴史において「馬車が自動車に置き換わったケース」です。

 

自動車という便利な文明の利器は、人間によって創り出されたのは実はそんなに昔のことではありません。人類の歴史において自動車が生まれたのは1769年と言われています。

 

この時代の最初の自動車は蒸気機関で動く蒸気自動車で、フランス陸軍の技術大尉ニコラ=ジョゼフ・キュニョーが製作した砲車であると言われています。

 

画期的な発明ではありましたが、自動車が生まれた当初は一般の人々にとっては非常に高価なものではありました。しかし1900年代に入ってから、アメリカのフォードによって自動車の大量生産が可能になりました。

 

それによって生産されたT型フォードによって徐々に一般の人々でも自動車というものが持てるようになっていったのです。

 

自動車が使われる前は馬車が人間の移動手段のひとつでした。しかし自動車が発明されることによって何が起こったのか。それは時代の変化とともに、人々に求められる力も変わっていったということです。

 

19世紀には馬車を操作する能力が必要でしたが、20世紀になると自動車を運転する能力が求められるようになりました。

 

「乗り物」という概念が失われたわけではありませんが、今まで使われいた古いものがテクノロジーの進歩によって新しいものに置き換えられることによって、今後は「新しい能力」が求められるようになるはずです。

算盤と電卓のケース

日本には「読み書き算盤」という言葉があります。その意味は文章が読める、内容を理解して文章が書ける、そして計算できること、それらの能力を指す時に使われます。

 

この中に算盤という言葉がありますが、wkipediaには

計算補助用具の一種で、串(細い棒)で刺した珠(たま)を移動させ、その位置で数を表現し、計算の助けとするもの。

とあります。

 

電卓やコンピュータがまだ生まれていなかった時代においては、物の数を数えたり売上金額を計算する時などは重宝されていたと思います。自分も小学生の時に学校の授業で使った覚えがあります。

 

しかし、電卓やコンピュータがある今の時代では算盤というものはあまり見なくなりました。やはり電卓やコンピュータの方がミスも少ないし速いし便利ということでしょう。

 

自動車の例でも書きましたが、現在一部の地域には馬車が使われている所もあるようですが、今の時代において基本的に馬車から自動車に置き換えられました。

 

同様に学校の授業や珠算教室など一部を除いて、今の時代において計算が必要とされる所は電卓やパソコンに置き換えられていると思います。

 

ここで注意したいことがひとつ。それは途中の計算工程が算盤から電卓やパソコンに置き換わったといっても加減乗除といった概念や知識はなくなったわけではない、ということです。

勘定奉行や弥生会計などの会計ソフトと簿記の知識のケース

今の時代の企業の経理部では、どこもなんらかの会計ソフトが導入されているのではないでしょうか。自分が使ったことがある範囲では弥生会計や勘定奉行、JDEなどです。

 

他にも企業規模とか業種の違いによって様々なものがあります。そういった会計ソフトが生まれたのは1960年代から70年代の汎用コンピュータの時代と言われています。

 

それから大企業で導入されて徐々に中小企業にも導入されるようになっていったわけですが、それ以前は紙の帳簿で仕訳や財務諸表を管理していたと思われます。

 

簿記の勉強をしている人ならわかると思うのですが、例えば何らかの取引があると仕訳をきる必要があります。ここから自分が驚いたのは、その仕訳から、その時の用途とか状況によって総勘定元帳とか補助簿、仕訳日記帳など様々な帳簿に転記していく必要があることです。

 

「こんなこといちいち人の手と紙を使っていたんじゃとてもじゃないけど仕事が終わらないだろ」と思ったものです。特に大企業のように多くの取引先と日々膨大な取引をしているような所では大変だったでしょう。

 

企業の規模が大きくなればなるほど自動化とかコンピュータ化の要請に迫られていったはずです。そういったテクノロジーの進歩や時代の経過によって、現在はパソコンとか会計ソフトという便利なものが使える時代になりました。

 

会計ソフトであれば仕訳をひとつ入力するだけで、総勘定元帳とか補助簿等、財務諸表内の適切な箇所に自動で数値が入る仕組みになっています。仮に入力を間違えてしまって修正しても、その修正はすぐに全ての箇所に反映されます。

 

今の時代に生きる私達は当たり前のように使っていますが、会計ソフトが使われる前から仕事をしている人たちは「なんと便利になったことだろう」と感じているのではないでしょうか。

 

確かに昔よりかは非常に便利になったと言えるでしょう。しかし、電卓や会計ソフトが導入されるようになったといっても、「簿記」の概念や知識がなくなったわけではありません。

 

ひとつの取引において仕訳をきって、それに連動する全ての箇所に情報を反映させるという途中工程はかなり自動化されたと思います。ですが、会計ソフトの発明によって簿記や計算の概念がなくなったわけではありません。

 

そもそも簿記の概念や、数値、計算の概念がない人に会計ソフトの入力や経理の仕事をさせてもいいかというと、それは難しいのではないでしょうか。

 

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