人間と機械や人工知能の時間感覚の違いや有限の肉体について思うこと

今回の記事のタイトルは『人間と機械や人工知能の時間感覚の違いや有限の肉体について思うこと』です。

 

なぜこんな記事のタイトルを思いついたのかというと、『機械との競争』という本にある、以下のとある一文を読んだ時がきっかけです。

p.101

第2章で取り上げたグーグルの無人運転車やIBMのワトソンのように、デジタル技術は新たな方向に進み始めている。

 

過去10年間で輸送ルート計画が自動化されたように、今後10年のうちには自動運転のトラックが登場することだろう

ポイントは「過去10年間で輸送ルート計画が自動化された」です

 

自分は新聞配達を経験したことがあるのでわかるのですが、最初から新聞を配る所が決まっている場合でも、先輩の後ろをついていって、ひとつの地区で300件程の新聞を入れる場所を覚えるというのは1週間程かかっていました。

 

最初から移動する経路が決まっている場合でも、その全ての場所を把握するのに人間の場合は数日はかかるのに、例えば郵便配達やアマゾンの小口配送など、日々荷物を入れる場所が変わって、なおかつ最短の時間で最適な経路を導き出す作業というのはそんなにすぐにできるものではないのではないかと思いました。

 

ですが、電車の広告でよく見かけたのですが、今は「NAVITIME」という自動車のルート検索できるサイトがあります。自分は自動車を使わないので実際の使い心地というのはよくわからないのですが、

 

目的地までの検索において、有料道路や一般道路の指定、地図上に経路を示したルートマップの表示、所要時間や、高速道路料金も確認できるようです。

 

さらに渋滞を回避するルートの表示など、リアルタイムに周辺の渋滞状況を把握していないとできないことです。

 

最適なルートの検索やそのルートを覚える、さらにその時その時の状況によって最適なルートを選択するという作業を人間がひとつひとつ手作業でやっていたら絶対に数日はかかってしまうでしょう。

 

ですが機械はそれを一瞬でやってしまう。この部分に機械のすごさを感じたのはもちろん、人間と機械との間で「時間感覚」というのも異なるのだろうなと思いました。

 

機械に「時間」という人間の言葉や感覚でいうところの「4次元」の感覚があるかどうかはわかりませんが、今回はこのことで思ったことを書いてみます。

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「機械は肉体や時間という概念がない」ということについて

特にたわいもない思いつきなのですが、いろいろ考えているとある時ふと今回の記事のタイトルのようなことを思いつく時があります。

 

「機械に時間感覚はあるのか」といったことや「もし機械が時間感覚を持ったらどうなるのだろうか」などです。

 

実はこの思いつきの根拠はまだ他にもあって、最近出版された羽生善治さんの人工知能の核心 (NHK出版新書)』のアマゾンのレビューを読んだからです。ちなみにレビューを読んだだけで、まだ購入して中身は読んでいません。

 

そのレビューの中におもしろいことが書いてあって、「機械が恐怖心を持たないのは、肉体を持っておらず時間という概念がないから」という一文がありました。

 

最初読んでみて

「はぁ、なるほど、確かに言われてみればそうかもしれない・・・。」

と感じました。

 

人間には肉体があります。例えばやかんが熱くなっていることに気づかずに触ってしまって、反射的に手を引いてしまったというのは誰にでもある経験ではないでしょうか。

 

また人間には寿命があります。現在の日本人の平均寿命は約80年程と言われていますが、寿命以外にも事故で命を落とす場合もあります。

 

肉体を通しての痛みに対する恐怖心や時間を通しての寿命に対する恐怖心など、それ以外にも様々な制約があります。その制約が人間を人間たらしめているとも言えるわけです。

 

レビューだけしか読んでいないので深くは考察できないのですが、機械というものに対して今までにない考えを提供してくれた文章でした。

もし機械に「時間」という概念を持たせることができて、さらに人間の感覚に近づけることができたら

機械が「時間」という概念を持ったらどうなるのでしょうか。そもそも「どうやって?」という方法論は自分は専門家ではないので何とも言えませんが、レビューにあったように、機械はかなり人間に近づけるのかもしれません。

 

例えば冒頭部分でルートの検索や経路について書きましたが、

 

人間から機械を見れば一瞬で作業を終わらせているようにしか見えないのですが、機械にとっては人間のように数日間という時間をかけて終わらせているという感覚を持っているのかもしれません。

 

そのような中で「時間」という感覚や概念を人間が機械と「共有」できるようになったらどうなるのでしょうか。つまりは「『人間が持っているような時間感覚』を機械とも共有できるようになる」としたらどうなるのか、ということです。

 

例えば人間から見て亀という生き物は移動スピードが非常に遅いイメージを持たれています。人間から見た亀のイメージのように、機械もまた人間に対して同じイメージを持つかもしれません。

 

片方は普通に作業しているつもりなのにもう一方から見たら一瞬で終わっているようにしか見えない。

 

片方は普通に作業しているつもりなのにもう一方から見たら数万年かかっているように見える。

 

まず機械に時間という概念や感覚を持たせることができたとして、なおかつこのような感覚の差異をなるべく人間に近づけることができるようなったらどうなるのでしょうか。

 

時間感覚というものにおいてお互いを理解するのはすぐには難しいかもしれません。この辺は何とも言えないですね。

機械と異なる人間の強み

人間には寿命という生命において有限なものがあるからこそ、「時間」という概念を持つことができた。

 

肉体があるからこそ痛みや心地よさという感覚を持つことができ、それが恐怖心や美意識という感覚を持つことができた。

 

そのような制約があるからこそ、機械や人工知能には持てない強みが人間にはある、というレビューがありました。

 

なるほど、人間としての「制約」が逆に「強み」になっていると。

 

現在の世界では、徐々に単純労働などが機械に取って代わられていっています。それは工場の工作機械であったり、スーパーのセルフレジであったり、自分の日々している経理の仕事では会計ソフトなどが使われています。

 

そういった仕事に対して、より人間に近い領域というか、人間にしかできないと言われていること、それは創造的な分野、芸術、経営など頭脳的、感覚的な分野は機械はまだ進出できる見込みは立っていません。

 

ですが、人工知能や機械に肉体とか体を持たせることができれば、有限の命を与えることができれば「時間」とか「恐怖心」「美意識」といった人間が持っているような感覚を持たせることができるのでしょうか。

 

仮にそういった感覚が持てるようになったとして、例えば飲食店などのサービス業に関する仕事、さらにはもっと動作や高度な感覚が必要とされる仕事ができるようになっていくのでしょうか。

 

そのような人間と同じような感覚を持った人工知能やロボットが生まれてくる世界とはどのようなものなのでしょうか。

 

う~ん。自分は理系の世界には疎いので何とも言えませんが、「人間と同じような感覚を持たせるにはどうすれば良いか」という問いに対して「有限の肉体を持たせる」というのは今後の一つの解になっていくのかもしれませんね。

 

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