ブログに記事を書くことは電脳空間に自分を移植していると言えるのではないか

今回の記事のタイトルは『ブログに記事を書くことは電脳空間に自分を移植していると言えるのではないか』です。

 

なぜこんなことを考えたのかというと、最近は人工知能や最新の技術の発展が目覚しく「脳全体のエミュレーション(移しかえ)によって不老不死になれるのではないか」といった記事や

 

「ロボットに人間の脳を移し変える」なんてプロジェクトもあるようです。そういった将来の技術の進歩によるニュース以外にも、とある記事から今回の記事のタイトルのようなことが頭に浮かんできたわけです。

 

今回はそのことについて書いていってみます。

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「超人間化」というものについて

今見ていただいたところに、とくにタチコマを中心としまして、電脳空間の中に入っていくシーン、それぞれが個に目覚めてしまうみたいなところがシーンが刻まれていました。

(中略)

ただ、攻殻機動隊の世界みたいなことは比較的可能じゃないかと。つまり今おっしゃったブレイン・マシン・インターフェースですね。

 

例えば、人間が眼鏡をかけるとか、義足とかの先にある義体化。電脳化、義脳化というのは、さっきおっしゃったようにiPhoneとかそんなのでやっとるわけで、それの究極的に進んだものが、巨大なスーパーコンピューターと人工知能です。

 

これが人間と一体化するというようなことが2045年までには可能になる。わたくしはこの超人間化ということがシンギュラリティの一番のポイントだと思います。

これな自分の考えなのですが、将来的には「物理的に人間の脳がコンピューターやロボットに移植される」可能性もあると思っています。

 

しかし一方で、今回引用した記事から多くの人に対する上の人たちから、何らかの比喩としての暗黙のメッセージを伝えようとしているのではないかなと思いました。

 

それは物理的に人間の脳が移植されるわけではなく、インターネット上に何らかの自分の意志を反映させることによっても、「自分の脳を移植している」と言えるのではないか、ということです。

ブログに記事を書く行為について

現在の世界では、「パソコン」とか「IT」とか「インターネット」というものが、以前に比べれば大変身近なものになりました。

 

一昔前であれば、そういったものは一部の科学者だけが使うようなイメージがありましたが、今では私達の生活に欠かせないものになっています。

 

そういったものの中に「ブログ」というものがあります。wikipediaには次のように書かれています。

ブログ (blog) は、狭義にはWorld Wide Web上のウェブページのURLとともに覚え書きや論評などを加えログ(記録)しているウェブサイトの一種である。

 

「WebをLogする」という意味でWeblog(ウェブログ)と名付けられ、それが略されてBlog(ブログ)と呼ばれるようになった。ブログの執筆者はブロガー (blogger)、ブログの個別記事はブログエントリーと呼ばれる。

 

私達の生活の中で一般的に用いられている意味としては、作者の個人的な体験や日記、特定のニュースに対する作者の考えなどを書いたり、といったことに使われています。

 

今回の記事を書いている自分も「ブログ」というものに日々の考えを書いているわけです。

 

今回の記事の自分の考えとしては、そのブログというものに「自分の考え」を書くということは、電脳空間、電子空間、コンピューター上に自分を移植していると言えるのではないか、と思うのです。

 

世の中には「アバター」という言葉があるようです。その意味は「自分の分身となるキャラクター」とされています。

 

ブログで文章を書いていくということは、目に見えるような「人間の形をしたもの」というわけではないですが、自分の「考え」の分身という風に言えるのではないでしょうか。

 

電子空間上に移植した「自分」と人工知能がチームを組むという発想

既にチェスの分野では、人工知能にはなかなか勝てない状態になっています。現在人工知能が人間を打ち負かしてから長い時間が経ちましたが、その後チェスで一番強いのは誰になっているのでしょうか。それは人間と機械からなるチームとなっています。

 

これはフリースタイルチェスと呼ばれているそうで、この方法が最も強いとされています。

 

このように発達した人工知能と、電子空間上に移植した「自分」がチームを組んで、人間の不得手なものを人工知能がカバーすることによって、将来的には今までとはまた違った風景を見ることできるのではないかなと思っています。

現実の物理空間から電子空間へと生きるステージがシフトしていく、という発想について

私達の普段生活している物理空間上では、「お金」をどれくらい持っているかが、その人の豊かさのひとつの指標となっているのではないでしょうか。

 

もちろんそれだけが「豊かさ」とか「幸せ」の絶対的な基準ではありませんが、基準のひとつにはなっていると思います。

 

一方でインターネット上での豊かさの指標としては、どれだけ「評価」されているかがひとつの指標と言えるのではないでしょうか。

 

例えばアマゾンの本のカスタマーレビューなどがそうです。その本のどこがどう良いのかといったことが書かれたり、これは星5つであったりといった所です。

 

ニコニコ動画やyoutubeにある動画の再生数、ブログに対するアクセス数もひとつの指標かもしれません。

 

例えばクラウドワークスやランサーズ、リンクトインなどで仕事を依頼して、この人の仕事は良かった場合などは、好意的な記録が残るでしょうし、そうでなければ良くない記録が残るでしょう。

 

自分が実際に何かしたことに対して「評価される」ということですね。これが物理空間上の世界であったらどうでしょうか。

 

例えばとある企業に勤めていたとして、嫌な上司がいたとします。普通は嫌な上司に対して下の人間が評価することなど出来ません。どんなに嫌な上司でも、その上の人間が良しとすればその上司は出世していってしまいます。

 

ですがこれが電子空間上になればまずそんなことはありえなくなります。ひとりの人の評価がどんなに良くても、例えばアマゾンのカスタマーレビューのように999人の人に星1つとされてしまったら、やはり考え込まざるをえません。

 

このことについて現在は資本主義社会から、「評価経済社会」に移行している過渡期である、という言葉もあるようです。

 

「評価経済社会」という言葉が生まれた背景には、私達の生きるステージが物理空間から電子空間にシフトしていく、というかシフトしていかざるを得ない状態になっているのではないかと思っています。「自分の脳を移植する」という発想はつまり、今後来る新しい社会において、よりよく生きる方法のひとつではないかと思うのです。

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