就職活動の基準に企業の財務構造や一部上場かを見ても意味がない理由

なぜなら「その企業に長くいられる」かどうかなんて「わからない」からです。最初に結論を書いてしまいました。

 

これは他の人あてはまるかどうかはわかりませんが、少なくとも自分は「こうだな」と感じたことです。

 

昨今は、経営環境の厳しさによって大企業でさえ倒産する時代です。確かに将来がなかなか見えず、なるべく安定した所に就職したいという人が増えるのも頷けます。

 

最近の大学生の就職活動でも、以前にも増して大企業志向が強まっているようです。確かに自分も大学生で就職活動していた頃は大企業へ応募した時もありました。

 

というか当時の無知な自分としては、そもそも様々な業種や企業自体を「知らなかった」ので、必然的に「少ない選択肢」の中から選ばざるを得なかったとも言えます。

 

自分が新卒で入った会社は、とりあえずは大企業であり上場企業ではありました。じゃあ今もその企業にいるかと聞かれたら「いません」。

 

新卒で入った会社を諸事情によって辞めたわけですが、そこから現在に至るまで何社も変わってきました。

 

そういった中で自分が気づいたことを今回書いていってみます。

この企業こそは・・・と何度思ったことか

本当にこれほど意味がないとは思わなかったです。何が意味がないのかというと、今回のタイトルにも書きましたが、「就職活動の基準に企業の財務構造や一部上場かを見る」ということにです。

 

自分はこれまで、その企業が財務構造的に安定しているか、といったことや、上場しているか、なるべく先端的な業種(今の時代で言えばIT業界など)かといった部分を就職活動の基準に入れながら行動していました。

 

もちろん安定しているかどうかという部分も気にはなっていましたが、経理という仕事は勤務先の企業が「上場しているか」という点や「規模」によっても仕事内容が変わってくるので、そういった点も考慮していました。

 

それ以外にも、現実的な視点から「自分がちゃんとできるレベルの仕事か」という部分も見るようになっていきました。(以前は上ばかり見ていましたが、今は現実的な視点で見るようにしています。)

 

ですが、不思議なことに悉く「外れる」んですね。何がどうはずれるかというと、そこで働く職場の「人」という部分にです。

 

あんまり愚痴を書くというのは良くないことだとはわかってはいるのですが、それを考慮に入れてもなお、「なぜ上の世代の人たちはこれほど『あれ』なのだろか」と思わずにはいられないのです。

 

他に「仕事の面」でも考えさせられる部分が多かったです。これらの点から「その企業に長くいられる」かどうかなんて「わからな」くなってくるんですが、その理由は具体的にどういったものなんでしょうか。

 

大企業や上場企業にいる人たちの世代と属性

複数の企業で働いて気づいたのは、大企業ほどその規模に達するまで長い年月を要している、ということです。当たり前と言えば当たり前です。

 

「大企業や上場企業である」ということは、やはり「ある程度の年月」を経ないとその状態には辿りつけません。もちろん創業してそれほど経たなくても急速に成長して、あっという間に一部、二部と上場して大企業になっていく所もあります。

 

例えば、多くの人が知っている日立製作所とかNTTといった大企業は「歴史」があり「規模」も大きいです。

 

じゃあこれらのことから何が言えるかというと、「内部にいる人間」の勤続年数も「長い」わけです。

 

日本の企業は基本的にどこも「年功序列」でした。その場所に長くいればいるほど偉くなっていく制度というか慣習なわけですが、特に歴史がある企業、安定している所、大企業であればあるほどその傾向が強くなっていきます。

 

じゃあそういった所であればあるほど、どういった人が多くなるかというと、オブラートに包んで言えば「保守的な人」ですね。というかそういった人じゃないと長くいられないのではないでしょうか。

 

企業や会社は「法人」という人間ではないが、法律上人格を認められた存在です。そういった法人も、長く生きれば生きるほど周りの環境に適応していくというか、染まっていくというか、長く生きるために「最適な人」を取り込んでいくようになります。

 

日本の企業はなぜ「体育会系が優遇される」のか

日本の就職活動で「体育会系が優遇される」という話をよく聞きます。以前は「なぜなんだろう」と疑問に思っていましたが、いくつかの職場を経験して、身をもって理解できるようになってきました。

 

歴史がある大企業であればあるほど、年功序列で保守的であり、そのような周りの環境に疑問を抱かず、規律に従い、上の人間の指示に従順に従ってくれる体育会系的な人間というのは、そりゃあ重宝されるよなぁと思ったものです。

 

時間が経てば経つほど、そこに長くいればいるほど、外の価値観を知った人が少ないというか、少なくなっていくとも考えられます。

 

なぜなら「ある程度の年月」を生きられた会社というのは、それなりに「ある程度の規模」にもなれているとも言えます。

 

ある程度の規模になって、みんながみんなバラバラのルールで動いていたらその組織は機能しなくなってしまいます。

 

例えば人間の体を思い浮かべてみればわかるでしょう。自分の意志とは無関係に勝手に手や足が動いたら困りますよね。

 

他の例で考えると、国内の他の企業と取引する時に、基本は「円」という通貨で取引しますよね。これが各県ごとにドルやユーロを使っていたり、業種ごと、企業ごとにみんなバラバラのルールではなかなか取引するのが難しくなってしまいます。

 

「人」という個人の単位でも「日本」という国の単位でも、それが存続し続けるためには、「一定の共通したルール」が必要になってくるのです。

 

これらの例のように会社の規模が大きくなればなるほど、社内での「共通したルール」が必要になってきます。

 

最初のうちは明文化された「共通したルール」でも機能していたものが、規模が大きくなればなるほど様々な事例に遭遇していくわけで、現場ごとにルールをつくっていたのでは対応できなくなります。

 

そこで組織を機能させていくには「暗黙の共通したルール」ができるようになっていきます。慣習とか「根回し」という言葉がここでは合うかもしれないですね。

 

ということは、規模が大きくなればなるほどルールに従える人は優遇されて、「自分で考えることができる人」というのは排除されていくようになります。先の人間の体の例でも挙げましたが、手足が自分の意志とは関係なく勝手に動かれたら困りますからね。

 

これは別の言葉でも言い換えられるでしょう。

 

企業の規模が大きくなればなるほど、一つの組織文化の色が強くなっていくわけであり、一つの価値観しか知らないというか、「それが当たり前」の感覚になっていく、むしろ「なんでそんなことを疑問に思うの?」みたいな文化ができていきます。

 

そうなると排除されていくんですよね。内部にいた人でその企業の文化に合わない人はもちろん、外部から来た人とか特にですね。それは一つ一つの仕事の面からも伺うことができます。

安定している大企業ほど機能より形態に意識が向いている気がする

以前働いていた職場でこんなことがありました。とある経費精算の業務の時のことです。どんな人でもミスはすると思うのですが、これがある程度の人数を処理するとなると、必ず一定数の人がミスをします。

 

例えばよくあるパターンとしてはA地点からB地点までの電車賃の数値が合わなかったとか、会社内の人や取引先の人との食事の時に交際費としてお金を使ったが、「どこの、誰と、どの飲食店に、何人で行ったか」といった摘要部分がちゃんと書かれていなかったなどが挙げられます。

 

で、そのような時には本人の所まで行って聞けばいいのですが、営業の人とというのはあまり会社にいることがありません。ですから経費精算で間違った相手に修正や確認のメールを送信することになるのですが、ここからが問題でした。

 

経費精算のミスのパターンというのはだいたい決まっていて、これはどの職場の違いを問わず大きく異なることはありませんでした。ですので、通常そのような時というのは、こういったミスの時はこの文面で送る「定型文」が用意されています。

 

それがなかったとしても、引継ぎをしてくれた方の過去のメールの文面をコピーして、今回のミスの内容に合わせたりするという方法もありました。とにかく「一から相手に合わせて全てを作り直す」というのは「ある企業」を除いてありませんでした。

 

その「ある企業」というのは、ここまで書いてきてわかるように一部上場の大企業でした。あの時は本当にびっくりしました。

 

なぜなら相手の「職位」に合わせて言葉の内容の「一字一句」問題がないようにチェックされたからです。定型文があるわけでもなく、引継ぎの時にメールのアカウントも新しくつくってもらうと、過去のメールも自分の所で見れません。

 

そのような状況だったため、ミスに合わせて毎回一からメールの文面つくるという非常に非効率なことをしなければいけませんでした。

 

「そこまで形に拘る必要があるのか?」と、その時は本当に愕然としました。

 

他の事例として、これはインターネット上でも見られましたし、実際に経験している人も多いかもしれませんが、上司や他の人の承認が必要な書類というのはどの企業でもあると思います。

 

その書類の指定の箇所に、上司や他の人に承認印を押してもらう必要があるのですが、この「順番」とか「角度」にいろいろと「指示」をする方がいるようです。

 

自分もこのような部分に指示をしてくる会社で働いた経験がありますが、不思議なことにメールの件の所も承認印の角度を指示してくる会社も業績は「芳しくなかった」です。

 

上場している大企業ほどこのような「傾向」があります。こういう部分から何がわかるかというと、大企業ほどやたら意味のない「形」にこだわるということです。

 

で、そういった文化に対して違和感を感じたり、「もっとこうした方が良くなるんじゃないんですか」と言ったり、その企業の文化に対応できない人というのは、パワハラとか、わざとミスを誘うような指示をされたりして排除されていきます。

 

機能より「ルール」に拘るんですよね。なぜなら、そうしないと組織が維持できないからです。それもまぁ仕方ないとは思います。

 

例えばある所では以前と仕事内容が変わっていて、そういったことが頻繁にあったとしたら仕事が進まなくなりますからね。

 

ここまで書いてきたように、大企業内にある不思議な文化に全く疑問を感じず、上司の指示に全く口答えしない人であれば長くそこで働けるでしょう。

 

別の視点で見ると、そういった文化の所で長く働けるということは、良い意味でも悪い意味でも「素質」があり、その人が上の立場になった時に、その企業文化に合うさらに「素質」がある人を入れていくわけです。

 

まぁいろいろと恐怖を感じますね。そういった文化を持つ企業の行き着く先がどんなものか、ということに対して。

まとめ

自分が感じた就職活動の基準に企業の財務構造や一部上場かを見ても意味がない理由というのは、冒頭部分でも書きましたが、「その企業に長くいられる」かどうかなんて「わからない」からです。

 

ではなぜわからないのか。それは、そこに入った個人がその企業の組織文化になじめるかどうかわからないからです。

 

今回の記事では組織面とか人間関係面からいろいろと書いてきましたが、財務構造が磐石で一部上場している企業ほど創立してからある程度の年月が経っています。

 

そのような企業の組織文化というのは、その規模が大きければ大きいほど「ある一定の価値観」を保有しています。それは、全体的に一定した価値観を共有しなければ組織が維持できないからです。それが理不尽なものであってもです。

 

要は、どんな理不尽なことがあっても上の人に従える人であれば良い職場となるでしょう。

 

ですから「本来はこうあるべきなんじゃないか」という考えを持っている人ほど、大企業への就職活動は考え直した方がいいのではないかと思います。

 

ここまで書いた組織面や人間関係面以外にも、仕事面についての問題点とか、じゃあ大企業以外にどんな企業へ就職活動をすればいいのか、といったことも書いていたのですがそれだとかなり長くなりそうだったので、それは別の機会にして今回はここまでにしておきます。

この記事の続きです。
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