旧日本帝国陸海軍がアメリカに負けた理由は機能体組織が共同体化したからということについて

今回は以下の前回の過去記事の続きです。

前回は堺屋 太一さんの『組織の盛衰―何が企業の命運を決めるのか 』から、日本の戦国時代の織田信長の成長と豊臣秀吉の出世に関して組織面から見た記事を書きました。

 

今回は太平洋戦争時における旧帝国陸海軍を組織面から見た場合どうであったかということについて思ったことを書いていってみます。

旧帝国陸海軍に対する今までのイメージ

旧帝国陸海軍というと多くの人はどのようなイメージを思い浮かべるでしょうか。

 

明治維新をきっかけに、日本に初めてその国としてひとつの統一された本格的な軍隊として生まれたのが今でいう旧帝国陸海軍です。

 

日清戦争、日露戦争に勝利を収めましたが、その後更に満州事変や日中戦争やなどを経て太平洋戦争に突入していきます。

 

太平洋戦争では、日本・ドイツ・イタリアの日独伊三国同盟として枢軸国側として参戦し、アメリカに対してはその圧倒的な物量で負けてしまったというイメージがあります。

 

当時ABCD包囲網と呼ばれた、アメリカ、イギリス、中華民国、オランダらによって石油が輸入できない状況に追い込まれ、やむなく戦争に突入していったと言われています。

 

明治維新から太平洋戦争にかけての日本というのは、現在では否定的にも肯定的にも議論がされていますが、本書では組織面から旧帝国陸海軍を観察し、

 

「なぜそのような事件が起こったのか」

「その時の組織内部というのはどうなっていたのか」

 

といった点について非常に腑に落ちる展開で説明されています。

 

思わず「なるほど、旧帝国陸海軍をそう見るか・・・。」と唸ってしまい、今までにない新しい視点だと感じました。

 

当時の旧帝国陸海軍とはどのようなものであったのかについて見ていきます。

明治維新後の日本に軍隊が創られるまで

明治維新後の日本は、日清戦争、日露戦争の勝利に見られるように、一般的には他のアジア諸国に比べて欧米の先進的な文化や技術、兵器をスムーズに取り入れる事ができたから急速に発展できたんだと言われています。

 

では「なぜスムーズに取り入れることができた」のでしょうか。

 

本書ではその理由を、江戸幕府の「非武装政策」が役立ったと書いています。

 

江戸時代末期の頃のヨーロッパに限らず、イギリスなどを見てもらえばわかるように今でも多くの部分で残っていますが、ヨーロッパという国は基本的に「階級社会」と言われています。

 

そのためヨーロッパと言うのは時代の移り変わりの時期でも中世以来の騎士階級や社会的身分制度を切り捨てることが出来なかったのです。

 

しかし日本ではそれができました。というのは、先に書いたように徳川政権の徹底した非武装政策により、組織的、専門的な職業軍人などが多くはなかった、つまり日本には軍事に関してある意味空白の部分があった、

 

ですから当時日本に招いたドイツのメッケル少佐といった外国人顧問らによってヨーロッパで理想としていた組織、ヨーロッパのように身分で軍隊を編成するのではなく、

 

身分の差に関わらず能力ある者を登用することが出来た組織を日本で創る事ができたとあります。それが、明治維新後に生まれた旧日本帝国陸海軍に繋がってくるというわけです。

 

なるほど、そりゃあ強いわけです。つまり旧態依然とした組織がその延長線上でちょっと良くなったというわけではなくて、元々何もない所だったから外部からの文化もスムーズに取り入れられたと。

 

しかもそれが当時軍事的には最先端のヨーロッパで理想とされていた先進的な組織の仕組みを導入できたのというのですからそりゃ強いですよね。

 

日清戦争に勝利できたのはまだわかりますけど、日露戦争に勝利できたというのは当時も今でも大きな出来事として語られています。

 

その背景にはこういった組織的なアドバンテージがあったということです。自分の中では非常に腑に落ちた内容でした。

 

日本人は時代の変わり目には非常に迅速に対応できると言われたりしますが、それは時代ごとに次の時代に移り変わる時に弊害となる組織がなかった、または弱かったからではないかなと今回の事例を読んで思いました。

 

このように組織面から、歴史を見てみると「なぜ」を理解することができ、非常におもしろいです。

 

しかしこの状況も長くは続きません。組織というのは専門化するばするほど、近代化すればするほど、そこにいる人間の所属期間が長くなればなるほど、機能体組織が共同体化していくからです。

「共同体」については以下の過去記事を参照していただければと思います。

 

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