今の時代は「働き方」というのが大きな話題のひとつとなっています。例えば企業で働く時に、働く時間をある程度柔軟に変えられえる「フレックス制度」なんてものも出てくるようになりましたし、1日8時間ではなくてもっと短く3時間とか4時間といった働き方もあります。
雇用形態も
- 正社員
- アルバイト・パート
- 契約社員
- 派遣社員
など、以前に比べれば多様化してきました。
しかしそれらは「企業」とか「組織」で働くことを前提としたものです。
それらは企業が成長、規模を大きくしていくごとに雇用形態というものも変化してきたのですが、そもそもなぜ企業という組織はここまで大きくなったのでしょうか。
今回は、そのことについて以前から考えていたことを書いていってみます。
株式会社の歴史
組織の大規模化の前に以下のことを整理していきます。
今回の記事のタイトルは「なぜ企業はここまで規模が大きくなったのか」ですが、そもそも現在我々が働いている株式会社とか企業とはどうやって生まれたのでしょうか。
簡単にその生まれた歴史を振り返ってみます。
株式会社の起源において世界で最初につくられた株式会社というのは、1602年に設立されたオランダの「東インド株式会社」と言われています。この年代に設立された時代背景として、当時のヨーロッパは「大航海時代」に入っていました。
15世紀にポルトガルの航海者、探検家であったバスコ・ダ・ガマがヨーロッパを南下して喜望峰ルートを開拓しました。そこからインド、アジアへの航路が開かれます。
また、コロンブスはヨーロッパから西を目指しアメリカ大陸を発見、そこから探検家たちはこぞって航海にくり出し、主に胡椒、香辛料をヨーロッパに持ち帰り莫大な利益を得ました。当時は胡椒とは非常に貴重だったからです。
海へ出て長い距離を航海していくというのは、当時においては非常リスクがありました。
今のように大型の艦船を建造できる技術があるわけではないですし、レーダーや蒸気タービン、スクリューがあるわけでもありません。航海に関するノウハウも現在に比べればそれほど発達したものではなかったでしょう。
ですから、難破や海賊、敵からの襲撃、疫病への感染といったものも頻繁に発生したので、当時の航海の成功する確率というのは非常に低いものだったのです。
しかし下層民や貧者でも運が良ければ、航海を成功させることで大きな名声とお金を得ることができました。当時このような人たちに資金を提供するパトロンという金持ちがいました。今でいう「株主」です。
ですから、航海に出る船長を現在の「社長」、船員を「社員」と言い換えることができるでしょう。当時の下層民や貧者や勇気ある者とパトロンと呼ばれる金持ちの双方の利害が一致したことによって生まれた組織形態が現在の「株式会社」に繋がっていきます。
企業とは一般的に営利を目的として、継続的に生産・販売・サービスなどの経済活動を営む組織体のことを指して言われますが、このように現代的意味での企業概念は、オランダの東インド会社の誕生に見ることができます。
ここから、後の「資本家」と「労働者」といった階級が生まれていきます。
なぜ株式会社である企業がここまで規模が大きくなったのか
ここまでは株式会社の「起源」を書いていきました。では現在のような大規模な株式会社としての大企業はどうやって生まれたのでしょうか。それは18世紀のイギリスにおける「産業革命」が関わっています。
産業革命によって蒸気機関が開発されて動力源の刷新が行われます。それまでは家内制手工業と言われた、手作業などの人力によって製品をつくっていました。
ですが、工場に労働力を集めて蒸気機関を利用した大規模な機械を利用して大量に製品をつくれるようになりました。これが工場制手工業(マニュファクチュア)と呼ばれ、周りの環境もそのような手法に徐々に移行していきました。
この工場という一つの場所に「多くの労働力を集め」ることによって「組織」ができるようになったわけです。このような近代工業については『知価革命―工業社会が終わる 知価社会が始まる』には次ように書かれています。
p.237
近代工業社会における主要な「財」であった物財は、工業化された工場や農場、鉱山において生産された。つまり大規模な機械群によって産出されたのだ。
しかも、大量生産・大量流通が有利だったから、その生産施設はますます大規模化する傾向があり、従ってその生産施設を生産する施設も大規模化した。
従来の経済学でいう「生産の迂回化」や「資本装備率の向上」が限りなく続いて来たのである。
近代的な向上━動力源で動く大型機械群を備えた工場━は、大変高価であり、多くの人々を組織的に働かす必要がある。
企業という組織は今日まで規模を大きくしてきました。それはここまで書いてきたように規模を大きくすることにメリットがあったからです。
大量生産・大量流通が有利というのは「規模の経済」という言葉で言い表したりします。これは、製品を多くつくればつくるほど、原材料や労働力に必要なコストが減少する結果、収益率が向上することを言います。
特に戦後の日本というのは戦争によってかなり荒廃していましたから、多くの日本人は「何も持っていない」状態でした。ですから売上面においてつくればつくるほど売れるという感じだったでしょう。
また、費用面においては、戦前、戦後に中東で発見された「石油」によって大きくコストを下げることができたでしょう。日本において、それまでは「石炭」が燃料の主流でしたが費用対効果を考えた場合、製品をつくるためのコストは石炭に比べれば大きく改善されたはずです。
このように、特に戦後の日本においては工業社会を発展させる上でかなり恵まれた環境だったと言えるでしょう。ですから一つの企業グループで何十万人もの従業員を抱えるようになった所もあります。
以上のように順調に規模を大きくすることによって、内部の人間の数も増えていきましたが、そこに組織文化も生まれてきます。
それまで規模を大きくすることにメリットがあったわけですから、そこに生まれる組織文化は必然的に「規模が大きくなることを前提とした」ものになるはずです。
となれば、そういった大規模な組織を維持・運営していくには能力も必要でしょうが、それ以上に年功序列、コミュニケーション重視といったものになっていきます。
ですから、「規模が大きくなることを前提とした」会社では長期雇用の「正社員」という働き方は価値があったわけであり、特にひとつの組織に長く在籍している人間ほど能力よりもコミュニケーション能力に長けている傾向があります。
しかし、正社員という価値も話すのが上手いという能力も、それが価値を持つには「工業社会」や「規模が大きくなることを前提とした」会社に限定されるのではないかということです。
規模が大きくなった企業の中で組織はどのような形になったか
『知価革命―工業社会が終わる 知価社会が始まる』では次のように書かれています。
p.246
生産コストの低下を追求して「規模の利益」を実現することを第一とした工業社会においては、投資も販売量も大規模でなければならなかった。従って、一つの投資計画や新製品の開発は、企業の運命を左右するほどの重大事にもなり得る。
当然、その実行には、組織全体の合意と関係者全部の協力が必要である。
こうした中では、規則正しい行動と絶え間ない連絡調整、そして倦むことなき根回しこそ肝心だ。
工業社会の組織の首長に求められたのは、それを間違いなく実行できる官僚的管理能力であった。戦後の高度成長後半期から最近までの大企業の経営者には、チームプレーに徹した慎重型の「待ちの経営者」が多かったのもこのせいであろう。
大学生の就職活動の時に企業側が学生にどういった能力を求めているかのランキングといったものが毎年発表されていますが、いつも1位や2位は「コミュニケーション能力」とあります。
なるほど、本書の引用文からもわかる通り、「大企業」の場合は「コミュニケーション能力」は重要な感じがします。仕事に対する進捗状況の確認や、事前の根回しが大事というのはよく言われます。
東京大学出身者を大企業が優遇するのもなんとなく理解できます。その規模を運営、維持するためには、仕事を間違いなく実行できる官僚的管理能力が必要とされるので、その人の人生においてなるべく間違いの少なかった人材が求められるということでしょう。
まとめ
では、今後大企業が今以上に衰退していったらどうなるのでしょうか。コミュニケーション能力はそこまで重要視されるのでしょうか。自分がこの記事で言いたかったのはここです。
確かに工業社会において生まれた大企業の中の組織では「コミュニケーション能力」や間違いの少ない「官僚的管理能力」が必要というのはわかります。
ですがその前提には、「つくればつくるほど儲けが出て多くの人員を必要とする工業社会」というものがあったからです。
しかし現代の社会では、生活に必要な最低限のものは既に国内に行き渡っています。100円ショップというものが多くの場所で見られるようになったように、多くの商品が「コモディティ商品」となってしまったと考えられます。
つまり工業社会によって生み出された製品は、日本社会においては「飽和状態」と言えます。コモディティ商品を土地代や人件費が高い日本でつくっていては利益を出すのは難しいでしょう。
他にも、日本の人口の減少や構成の変化から「多くの人員」を前提とした事業も難しくなっていくでしょう。
昨今のシャープや東芝、家電産業の凋落、また、外食産業に人が集まらなといった問題に見られるように、今後は大規模な組織が必要とされない、もしくは、大規模な組織を維持できなくなっていくのではないか、ということです。
それは一方で、今後の知識、知価社会へ移行している現われであり、知識社会にはおそらく「コミュニケーション能力」や「官僚的管理能力」ではなく、別の能力が必要になってくると思われます。
また、大規模な組織ではなく、小規模な組織、または「個人」として生きられるようになっていく必要があるのではないか、ということです。
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